Vol.38 「価値観」 2年 穴田善孝
はじめまして。ヒロくん(3年柴田普)から紹介を受けました、東京学芸大学教育学部初等教育教員養成課程保健体育選修(A類保健体育科)2年、シャワー棟の主でお馴染み穴田善孝です。およそ2年前の、一年生紹介の時に他己紹介をしてもらいましたが、このような形で出てくるのは初めてとなります。
ということでまずは、恒例となりつつある自己紹介から簡単にさせていただきたいと思います。なぜ私が「東京学芸大学~穴田善孝です。」という長ったらしい表記をしたかと言いますと、その原点に遡ること2年ほど前に理由があります。それは単純に、長い名前でかっこいいなという憧れのようなものでした。ただそれだけです。高校時代は、福島県立磐城高等学校普通科のサッカー部で過ごしました。高校と大学を比べると、その違いは歴然でしょう。
また私は自他ともに認めるシャワー棟の主です。私に用事がある(なかなかいないとは思いますが)人は、まずはシャワー棟を探してみてください。きっといます。この他にも、趣味や特技、過去や将来について等、自己紹介する項目が多数思い浮かびますが、そうすると自己紹介だけで終わってしまうということになりかねません。また、個人情報をただただ漏洩するための場ではないと存じているため、おそらく次が最後の登場であろう2年後(の予定)の卒業ダイアリーの時に持ち越したいと思います。
自己紹介はこの辺にして、そろそろ本題に入っていきたいと思います。これまた恒例と言いましょうか、たまに目にする冒頭部分の出だし、「何を書こうか...」といった類の文章です。こうして綴っている現在、まったくそのような状況です。詳しく言うと、何について書こうか迷っている状況です。公私に渡って見られる判断力・決断力の鈍さがこのようなところに響きます。自省しています。「これは裏で何かが動いている。きっと自分には回ってこないような仕組みになっているんだろう。」と鷹を括っていた矢先に回ってきました。自分の不甲斐なさを実感しています。そして、テンプレートのような最後の締めの言葉、「なんともまとまりのない文章...」「読みづらい文章...」といった類の文章です。このような文章を目にする度に、気になっていたことがあります。まとまりのある文章とはなにか、読み易い文章とはなにか、ということです。はじめはこれらのことについて書こうかと思ったのですが、そのためにはまず、様々な本を手に取り、勉強するところから始める必要があります。国語科の人でも難しい題ではないでしょうか。
幾度となく熟考を重ねたうえで、このテーマに行き着きました。今回の私のテーマは“価値観”についてです。物事に対する考え方や判断の基準である価値観(Wikipediaより引用)。周知のこととは思いますが、価値観には個人差があります。むしろ、自分と全く同じ価値観を持っている人と出会うことは無に等しいものでしょう。価値観の相違です。
この価値観の相違に関する具体的な例を挙げてみます。10人で同じサッカーの試合を観た後、一番印象に残っているプレーを選んでもらいます。90分のうちのたった数十秒について、10人全員が同じように感じ選択をするということはなかなかありません。今度は学校生活に場を移します。10人で同じ授業を受けた後、最終的な成績が出されます。単位をもらえて喜んでいる人もいれば、C判定(単位認定の最低ライン)より上の判定をもらえて喜んでいる人もいます。逆に、S・A判定じゃなくて落ち込む人もいます。これらは全て価値観の相違によるものです。
私のこれまでの20年間の人生において、“みんなちがってみんないい”という言葉を私はよく耳にしてきました。みなさんも1度は聞いたことがあるでしょう。私の価値観の相違への考え方は、まさしくこの“みんなちがってみんないい”というものです。
正確には、“みんないい”だけではなく、その違いを理解し、享受して、新たな自分の価値観を再構築していくことにこそ意味があります。
もちろん、他の人の意見が自分にとってプラスになるものばかりではありません。時にはマイナスなこともあるでしょう。そのような時は、自分自身の頭で思考することが求められます。また、気を付けなければいけないことは、自分の価値観を他の人に押し付けるという行為です。上述の通り、価値観は違って当たり前のものです。一人一人がオリジナルの価値観を持っています。そのため、その人の価値観を排除して自分の価値観を押し付けることがどれほど無謀で無意味なことかは、言わずもがなです。
このような考え方を持つことにより、「そういう捉え方もあるのか」、「その発想はなかったな」、と何事もすんなりと受け入れることが出来ます。私の場合、現在は理解して終わっている段階です。その先には、享受して、再構築していくという段階があります。正直、私はその最終段階にいると自負していました。ですが、それはあくまでも主観でしかありませんでした。全然享受出来ていない、とチームメイトが率直に教えてくれました。言われて初めて気付かされました。感謝しています。ありがとうございます。なぜ享受出来ていなかったのか。自分なりに思考しました。その結果辿り着いた原因は、信念というものでした。この信念について書き始めると、これまで書いてきた量の文章がもう一度下に続く恐れがあるため、今回は割愛させていただきます。信念、信条、己の信じる道。どれも素晴らしい言葉で、プラスの側面が強いものですが、マイナスの側面も持ち合わせています。私は、完全にマイナスな方向に働いてしまっていました。頑なに自分の信念を守ろうとする自分がいたのです。そのため、理解しかしなかった、理解しか出来なかったのだと。私の大学サッカーは折り返し地点となりました。私はこれを、まだ2年あると考えます。自分自身の現段階を気付けたのは大きな学びです。これをプラスに捉え、残りの2年間、部活に勉強に活かしていきたいと思います。
終わりになりますが、ここまでの文章を読み返してみると、少し心残りがあります。みなさんも薄々気付いた人がいるのではないでしょうか。そうです。それは、今年のスローガンである“紫煌”、そして、“比較”という2つについて掘り下げていきたかったということです。どちらも多少なりとも触れてはいたものの、伏線を張っただけで終わりを迎えてしまいました。致し方ありません。後々登場する方が少なくとも“紫煌”について、至高な文章を創り上げてくれることを期待して締めの言葉とさせていただきます。人はこれをまとまりのない文章と呼びます。読みづらくてごめんなさい。長文失礼致しました。そして、ここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございました。
次回は、止まらない(?)止まれない(?)と揶揄されることが多いウカイくん(1年鵜養)です。最近は自動車学校でブレーキのかけ方を学んだそうですが、結局実を結ぶことはなく、先日の全体合宿ではアクセル全開の日々でした。もちろん良い意味です。彼はまだまだ懐に色々と隠し持っているんだとか...そんな彼の部員ブログに乞うご期待ください!
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