Vol.130「想い」1年 吉留圭太
この度、初めて部員ブログを書かせていただきます、A類社会科1年吉留圭太と申します。
初めてなので簡単に自己紹介をすると、世界的ダンサーのパパイヤ鈴木の出身地でもある東京都東久留米市で育ち、中学高校は練馬区の大泉中学、大泉高校という中高一貫の学校を卒業しました。その後、池袋で1年修行し、晴れてこの東京学芸大学に入学しました。
それでは本題に入りたいと思います。拙い文章ではありますが最後まで読んでいただけると幸いです。
前述にもある通り、僕は1年間の浪人を経て学芸に入学し蹴球部に入部しました。なぜ東京学芸大学を志望したのか、それは蹴球部に憧れていたからです。高校最後の選手権で負けて、その時は正直言うとサッカーに終止符を打つつもりでしたが、選手権での悔しさ、高校サッカーでやりきれなかったことが心残りで、サッカーを諦めたくなくて、大学でサッカーを続けると決めました。志望校を探す中で、もともと興味を持っていた教員という職業を目指せる、そして国立大学屈指の強豪校である学芸を本気で目指すと決めました。そこからの日々はただひたすら学芸蹴球部を目指して勉強しました。現役で保体科に不合格、迷わず浪人を決めました。浪人期は、定期的に運動を続けながら、毎日蹴球部のTwitterを確認し、ブログも全て読みました。いつかあのジャージを、エンブレムを付けてサッカーをするんだと。
一年後、保体科には入れなかったもののなんとか後期試験で社会科に滑り込むことができました。それから早一年、念願の学芸蹴球部での自分はどうだろうか。自分と向き合えているのだろうか。Bチームの始動ミーティングでこんな話がありました。
「なぜ蹴球部に入ったのかもう一度考えよう。」
昨シーズンの自分を振り返ると、自信のないプレー、消極的な姿勢、怪我続きの日々。選手権の悔しさを忘れず、学芸を目指して頑張っていた自分が今の自分を見たらどう思うだろう。あの時の想いを、今の自分は裏切っていないだろうか。自分の憧れたチームでサッカーができている喜び、ここにたどり着くまでの日々を忘れていた気がする。もっとやらなきゃいけないことがある、もっと自分と向き合わなきゃいけないことがある。
昨日の練習もあと一歩が出なかった、プレスバックしきれなかった。そんな時は自分自身に問いかけたい、それでいいのかと、そんなもんなのかと。18.19歳の自分の熱い想いはそんなもんじゃない。あの熱い「想い」を今シーズン燃やし続けていきたい。
まとまりのない文章でしたが最後まで読んでいただいた皆様ありがとうございました。
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