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Vol.48「思考の可能性」4年 冨永瑛介

初めまして。

原山海里の紹介を受けて今回部員ブログを担当させていていただくことになりました。


“筋肉を愛し、筋肉に愛された男”でお馴染みの冨永瑛介です。


お馴染みと言ってはいるものの、私のことを知っている人はほとんどいないと思うので、簡単に自己紹介をさせていただきます。


出身は、全国の自治体の中で財政力がトップ10に入るほど裕福な茨城県の東海村です。よく皆には村いじりされますが、私は村民であることに誇りを持っています。是非一度東海村に来てください。住み良い村です。

高校は水戸市にあるマンモス私立の進学校に進学、そして東京学芸大学の生涯スポーツコースに進学し現在に至ります。


小学生のころから高校まで一応サッカーをやっていました。

サッカーが下手くそで、身体能力で何とかカバーして高校まで続けられたレベルなので、学芸大の皆のレベルの高さに驚かされることが多々あります。

高校まで続けたサッカーをやめて、大学に入ってからはサークルでたまにサッカーをして、バイトする生活を1年の12月まで続けて、その翌年の1月にトレーナーとして蹴球部に入部しました。

よくグラウンドにいるのに、トレセンで筋トレをしているのに、サッカーをしていない人。それが私です。


私がサッカーをやめて、トレーナーになった経緯の詳細等は、卒業ダイアリーで書かせていただければと思います。


さて、今回のブログでは海里から要望があった、私がこのチームをどう見て何を感じているか、そして最近私が本を読んで気になったことについて書いていこうと思います。長く拙い文章になってしまいますが最後まで読んでいただければ幸いです。


私はトレーナーとしてチームを、サッカーを支える側の立場になり、客観的に物を見ることが多くなったことで、今まで見えていた世界とは異なる世界や思考が自分の中に生まれ、日々様々な発見や学びがあります。そんな中で私が今チームに対して思うことは、


「こだわれているか」


ということです。


自分たちが目指すところ、そこへ行くための行動一つ一つの本質を見極めることができているか。

目標を本気で達成したいと思うのであれば、もっと細かく些細なことに目を向けて、そういったところにこそ、こだわっていくべきだと思っています。


そのために必要なのは思考すること。思考を踏まえた上で試行すること。

これは私が今のチームの皆に求めるものとしてスローガン発案時に込めた想いです。

本当に全力で走り切れているか、ただ走りきれたで満足して、そこで思考が止まってはいないか、その体の向きでボールを受けるのが良いのか、パススピードは適切か、そのトレーニングをやっている意味は、今意識すべきことは。

プレー内の事はもちろん、プレー以外の面でもです。

考えれば考えるほど、多くの疑問を自分やチームにぶつけることができます。

多種多量な情報に触れることで、視野が広がり、今まで見えてなかった疑問が生まれる。一つ一つの疑問に見逃すことなく向き合い、自分にベクトルを向けて考えてみる。それからチームに、仲間にベクトルを向け互いの問題や疑問を共有し対処していく。そして自分やチームとしての答えを出す。

しかしそこに絶対的な正解か不正解かを求めることはできません。そこにできることは各々の評価でしょう。その評価は評価対象となる問題や疑問の本質の理解なしにはできません。


実際にこう言ったことをやろうとすると、とても難しいことが分かります。とても多くのエネルギーを使うので精神的にも身体的にも困憊するでしょう。

一人の力は想像以上に弱く、その世界は非常に閉ざされたものです。でもだからこそチームがあり、仲間があり、友達がいます。

初めに述べたように、本気で目標を達成したいと思うなら、その目標を今一度見つめ直して、本質を捉え、そこにこだわっていくべきだと思います。

これは今のチームに対してであり、自分自身に対しても思うところです。

一人一人の姿勢と行動がチーム全体のベクトルを決定づけます。時間の経過だけではなくこの過程に信頼関係が生じる。だからこそ私たちはさらに良いチームに成長できると信じています。


ここからは私が最近本を読んで見つけた興味深いことについて書いていきます。


「計画的偶然性」

この言葉をご存じでしょうか。

計画と偶然、一見すると相反するもののように感じられる二つの言葉が一語にまとめられています。

これは計画された偶然であり、求めずして思わぬ発見をする能力を意味します。

英語訳はSerendipity(セレンディピティ)といいます。

何か一つのことに対して意識を集中し思考した後、それとは別の事に集中して取り組んでいる際に、初めの何か一つに関する答えが浮かんだり、有益な情報が得られたりすることです。

計画的偶然性の例

(学校帰りのついでに普段からよく行く本屋に寄り、いつも通りの雑誌コーナーへ向かった。その途中、本棚に置かれた大量の本の中の一冊が目に入り、タイトルに惹かれ手に取ると、今の自分に必要なことのヒントになる内容が書かれていて、当初の目当てでない本を購入した。)

例はざっくりしたものであるが、今回私が言いたいこととしては、「計画的」の意である日常的な課題意識や行動によって潜在的に情報感度が高くなり、気づく力が強化された状態に自分をしておくことで、新たな可能性が広がることがあるということです。

先に述べたような思考することはもちろん必要なことですが、自分の答えが出せないまま思考を続けるよりも、潜在的に情報感度を、無意識の意識の状態にして暫く思考を寝かせた方が一気に視野が広がることがあります。

急ぐために急がず、時間を置いて思考を寝かせる。


この偶然の発見は、計画されたものであれば必ず思考に影響を与える良い刺激となると思います。しかし思考はあくまで何かを成し遂げるための手段の一つに過ぎないと思うので、思考で止まらず、その先にある自分の答え出す、自分なりの答えを磨き上げていってほしいです。そして各々が日頃からの課題意識や行動を今一度見つめ直すきっかけにしていただければと思います。


今回の計画的偶然性については、梅田悟司 著 「言葉にできるは武器になる」という本の中に記載されています。他にも思考や言葉についても書いてあるので是非興味を持った人は読んでみてください。


非常に長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

読んでくれた人が何かしらの変化を良い方向に感じてくれたら幸いです。


次は、2年金城拓です。最近まで膝の怪我で長期離脱を強いられていた彼が現在どのような思いを感じているのか、そしてヤンバルクイナは本当に飛べない鳥なのか、うちなーぐちで熱く語ってくれることを楽しみにしています。


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