Vol.81 「置かれた場所で咲きなさい」3年 岩田俊太朗
生涯スポーツコース3年の岩田俊太朗です。4年生が引退し、ついに私たちが最高学年となりチームを引っ張っていかなければならない時となりました。とても長くなってしまいましたが、今思う事を正直に書かせていただきました。最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
関東リーグ最終節の選手動員の後の2日間オフ。正直とてもワクワクして二日間過ごした。アップ中にはド緊張している姿を同期のGKからいじられ、入学後に築き上げてきた学芸の応援席の熱量を今度は自分が感じながら都リーグのピッチに立ってプレーしている姿をイメージして「是が非でもトップで出てやろう。その為にはどこで自分は勝ったら良いのかな」などと思いながら自主練に取り組んでいた。立一(副将一木)と蒼(3年佐々木)の誕生日会の途中で帰ったのも、何か気持ちが落ち着かなかったから。ごめん、立一、蒼、またダーツしよう。
しかしそのワクワクは一瞬で消えた。消えたというか何が起きたか正直わからなくなっている自分がいた。
ローソンでアルバイトをしていて、トイレ休憩をする時に全体ラインにカテゴリー編成の連絡が来ていた。トップのメンバーの中に自分の名前はなかった。何回も確認した。冗談抜きに6回くらい見た。正直言うと、4年生が引退したらトップに上がれると勝手に思っていた。実際にトップチームに元々いた後輩からもシーズン終了飲み会のとき、「一緒にトップで出たいっすね。俺らの番すよ」とかいってくれる人もいた。気持ちの整理がつかなかった。
今シーズンはIリーグのほとんどの試合に出場することが出来た。アミノバイタルカップの期間では、先輩のキーパーの長期離脱によりトップチームに呼ばれ約1ヶ月間活動した。自分の良さを出せているのではないかという時もあったし、今こんな状況で言うのは恥ずかしいことではあるが少しばかり手応えを掴んでいる自分もいた。唯一トップで出た神奈川大学とのTMの緊張感は今でも覚えている。ピッチ上にはたまたま陽介(半谷陽介:現Umass)もいた。この試合はとても楽しかったし、練習も毎日が刺激的だった。Bチームに落とされてからもいつか絶対戻ってこようとずっと思っていた。
だからこそ今回の天皇杯期間、トップチームで活動できなかったことは本当に悔しい。
正直いうと、「試合に出る為にBに残った」とか「俺がBにいる方がチーム全体の為だ」なんていうださい言い訳をしたかった。いや、実際に言ってしまったこともあったかもしれない。前言撤回させて欲しい。自分の状況に勝手に恥ずかしくなっていただけです。
でも、自分のカテゴリーなんて監督が決める事で、特に自分がBチームにいる今の状況に対してなにも不思議だとは思わない。もちろん納得はしていないし、サッカー選手として納得する人はいないと思う。
ただ、このチームにおいて自分の能力が評価されたらトップに行ける、試合に出られる、という事で、現時点ではそこを評価されていない、トップに置くには物足りない、トップには必要ない、というだけである。だからこそ今置かれた状況でベストを尽くさなければならない。
"置かれた場所で咲きなさい"
タイトルにも採用させていただいたが私はこの言葉が好きだ。
私は今まで3回のBチームの引退試合を観てきて、卒業ダイアリーも3年分全員の先輩方の文章を読んだし、Iリーグ飲みの最後にBチームの4年生は1人ずつラストメッセージを話すのも全部聞いていた。その時に
「トップにいなければ意味がない」
というニュアンスの事を言う人がどの代にもいた。「トップにいれば周りが上手くしてくれる」とまで言う人もいた。私は3年間Bチームで過ごしてきて物凄くそれが悔しかったし、疑問にも感じた。
おそらく、「トップチームというレベルの高い環境にいなければサッカー選手として成長できないよ。」という事を伝えたいのであろう。トップを目指すことの重要さを伝えたかったのだと思う。しかし、AでもBでもサッカーをする事ができる。ハード面でいえば同じグラウンドで、練習できる時間だってほぼ同じ。規模は違えど関東リーガーでもIリーガーでもサッカー選手である。それでいて「Bでは成長できない」なんて言っているうちら、トップに行った時に試合に出て活躍できるとは思わない。心のどこかに「とりあえずトップに上がれた事への安心。毎日上手い人とサッカーができて楽しいなぁ」と満足した気持ちが生まれているのではないかと思った。(先輩方に敬意を欠くような表現でしたら申し訳ありません。先輩方を批判しているのではなく、自分達がやらなきゃいけないという事を伝えたかったのです。)
引退した去年のBキャプテンが、
「トップチームにいた時に、最初は試合に出たいと思って活動していたが、いつしかBに落ちたくないという気持ちに変わっていた。間違いなくそれがいけなかった。」
と話していた。まさにそういことなんじゃないかなと思う。
要するに私がなにを言いたいかというと、置かれた場所で頑張らなければならないという事であり、そこで頑張れない奴はどこに身を置いても何もできないということである。
その時に、置かれた場所に納得がいかないのならその場所さえも変える努力をしなければならないという事である。現時点でBチームにいる事をなんとか正当化しようとしている苦しい言い訳に聞こえるかもしれないが、私はBにいる以上、今は本気でIリーグ1部昇格を目指す。必ずその環境を作る。そしてもちろんトップに上がったら関東リーグに上がる為の環境を作る。
話は少し変わるかもしれないが、東京学芸大学は教育学部のみの単科大学ということもあってか、月並みな表現をすれば普通の人が多い。そして大人びた考えだなぁと思う人も多い。無理をする人も少なく感じる。
私の高校時代は
「文武両道」「質実剛健」「師弟同行」
という精神のもと、教師からは「それで南高生か?」と毎日ハッパをかけられ、仲間からも「南高生ならできるっしょ」と追い込まれ、家に帰れば両親と必ず一緒に夕食を食べながら最近の出来事について話し、相談に乗ってくれていた。
高校時代はよく、「人はそう簡単に死なないから、今やりたいことは全部やってみろ」と言われることもあった。周りの仲間も僕よりも遥か上の想像力、行動力を持つ人ばかりだった。もちろんみんな遊んでいたし、勉強にも熱心で部活動にも熱心だった。特に部活の成績では周りの仲間には到底及ばなかった。そんな場所だったから遊びも勉強も部活も全力でやってしまうような環境があった。すごい熱量で生きている人から言われたらやらざるを得なかった。今思えば、サッカー的に充実していたかと言われれば今よりも間違いなく劣っているが、人間形成的にはとても恵まれた環境で育てていただいたと思っている。
「南高生だから」「南高生だったから」
という誇りはいつまで経っても僕の心の中にあります。同期のみんなも先輩方も後輩もみんなそうだと思います。"南高OB"として。
いつか山形に恩返し出来るような人になります。
学芸においては何かをやろうとすると「本来やるはずのサッカーが疎かになる」「進路が不安」「自分のことを優先したい」などと全てやろうとすることから避ける人が多いなと感じる。
「なんでもやってしまおう」となる人は本当にいない。よく言えば、「ちゃんと考えていて大人だなぁ」と言われるのかもしれない。
私の同期にはプロになった人が2人いる。また競技は違うが日本代表となった同期も2人いる。陽介も世代別代表に入った。その同期の仲間と比べても"人生かけてサッカーしているな"という人もほとんどいないと感じる。まあトップで試合に出ているわけでもないし、ましてBにいる私が何を語っているんだとなるのは承知の上だし「んじゃお前は人生かけてサッカーやってんの?」と言われたら間違いなくそうではない。
そもそも学芸は人生かけてサッカーするための場所ではない?人生かけてサッカーをしようとしている人はもうプロになっていたり、もっと厳しい組織に行っている?
私はこの環境に甘え、なんとなく3年間を過ごしてきてしまった。高校時代の同期はすでにもうすごい事を始めている人が何人もいる。その仲間たちに比べ、私は何も出来ていない。体育会の部活にいる事をすごいと言ってくれる人もいるが、入部金と部費さえ払えば誰でもこの組織に属することができる。
繰り返しになるかもしれないが、私は自分の為にもこれからまだ2年以上も蹴球部で過ごす後輩のためにも、各々が頑張れるような、頑張らなきゃいけないと思えるような環境を作らなければならないと思っているし、この組織にいることが価値あるものにしていかなければならないと思っている。
新シーズン、
「関東リーグに一年で復帰する」
という目標は誰もがわかっている。
今までは、偉大な先輩方が「強い学芸」を築き上げてくださったおかげで「学芸はサッカーが強いところだ」という印象を持ってくれる人がいる。
しかし、もう舞台は都リーグだ。これがこの先都リーグに居続けてしまったら、「学芸=サッカー」の印象は薄れる、そしてなくなるに違いない。
だからこそ必ず一年で関東リーグの舞台に戻らなきゃいけない。そして近い将来関東リーグ1部の舞台にいかなければいけない。
しかしそれだけになっていては
「東京学芸大学蹴球部にいたこと」
が将来の役に立たないのではないかと、私は思っている。「自分の将来や身に付けた能力なんて関係ない。全ては学芸の歴史のために全てを捧げてサッカーする」という人がいればそれは素晴らしい事であり、本当に応援したい。ただ、そのような人がいるかどうかはまだ僕にはわからない。
プロにでもならなければ"ちょっと人よりボールを蹴れる"という能力を社会で使える人はほとんどいないだろう。趣味でサッカーをしている人と何も変わらない。サークルでサッカーをしている人や、高校でサッカーを辞めてしまった人と同じ。
「少しサッカーがうまい社会人」と一括りにされてしまわないのか。
わざわざ体育会で多額のお金を払って蹴球部にいる意味とは何なのか。他の競技においてもプロを目指していないのに体育会で部活をしているのはなぜ?単に教員になった時、部活で教える時のスキルになるから?ただ単にその競技が好きだから?それが理由ならサークルに入ることとの違いは?
サッカー選手だけで語っていては、毎年インカレに出場する大学、天皇杯でJリーグのチームに勝つ大学の選手に将来太刀打ちができないのではないかと思う。セレクションでしか入部できない部活や、選手獲得、育成に多額の資金を注ぎ込んでいる大学は、「そのサッカー部にいること」がそもそもすごいことだ。それに対して、学芸は希望すれば誰でも蹴球部にいることができる。
だからこそ「サッカーをやっていた事」だけで卒業後に自分を語るのは現実的に厳しいのではないかと思っているし、鈴木明哲先生(蹴球部部長)も毎回納会で残留したことを評価してくれていたのも、「誰でも入部出来てそれでいて環境も良くはない」という理由で、決して「学芸のサッカーがすごい」という意味で褒めてくれていたわけではないと思う。
私は、
「俺は学芸にいたからこんな人間になれたよ」
とみんなが語れる
「学芸大の蹴球部はプレイヤーとしてはもちろん、サッカーに関しての色々な知識が備わっているなぁ。人間的にも素晴らしい。」
と何年後か先に周囲の人から思ってもらえる
そんなチームにしていきたい、サッカー界で多方面に活躍出来る人が育つ組織にしたい、と思っていた。その為にはプレーヤーとしてだけでなく、ピッチ内外で全員がサッカーに関わる様々な事を出来る様にしていかなければならないのではないかと提案した。しかし、それはみんなからの同意は得られなかった。
やりたい人がやれば良いんじゃないかという結論になった。
だからこれは私の大学サッカーラストイヤーでのビジョンである。
この部活を去る頃には心から
「東京学芸大学蹴球部に入ってよかった」
と思いたいし、
どれだけ歳をとっても
「東京学芸大学蹴球部が俺を作った」
と自慢していたい。
こんな風に私が活動していて部員の誰かが「俺もなんでもできた方が良いな」とか思って行動してくれたらとても嬉しい。ただの願いですが、そのように誰かが思ってくれるまで頑張ります。
私は遊びも勉強もそして大好きなサッカーも全てやりたい、わがままな性格だ。優先順位なんてつけられない。遊びも進路関係もサッカーも全部1位。
これだけやりたい事があり、全て実現するためには間違いなく"圧倒的な熱量"と"行動力"が必要だ。一歩間違えれば全て中途半端で終わる。ラスト一年くらい悔いのないようにやり切りたいと思う。
色々偉そうな事を綴らせていただいた。読み返してみると、サッカーを諦めた人間のようにも思えてくる。やはり文章で伝える事は難しい。
もちろんサッカー選手として何も諦めていない。トップにだっていきたいし都リーグに出たい。その先の目標だって持っている。
「トップチームで試合に出て活躍し、ビバ学芸をしている姿」
という最高のイメージしながら自分の
"置かれている場所"
で最大限の努力をしたいと思う。
最近の様々な思いが込み上げてしまい本当に長くなってしまいました。読んでいただきありがとうごいました。
岩田俊太朗
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