卒業Diary.10 藤川永吉
平素より東京学芸大学蹴球部の活動にご理解とご支援を賜わりまして、誠にありがとうございます。
本日卒業ダイアリーを担当させていただきます、B類理科4年藤川永吉です。
今シーズンは副主将を務めさせていただきました。
最初にこの場をお借りして皆様に感謝の言葉を伝えさせていただきます。
コーチングスタッフの皆様、トレーナー、マネージャーの皆様、蹴球部OB・OGの皆様、その他蹴球部に関わってくださった全ての皆様。皆様のご支援があったからこそ、私たちは個人としても集団としてもこの4年間で大きく成長することができました。これからも東京学芸大学蹴球部への変わらぬご支援をお願い致します。
それでは、同じ職場で、爽やかさを武器に好感度を上げまくり、大学では「ゆきの」のイントネーションの違いで周りと差をつける渡辺隼斗くんからの質問に答えていきたいと思います。
・副主将として、この1年間、特に意識したことを教えてください。
みんなとのパイプ役になろうと心掛けてきました。「懸け橋」でしょうか(笑)。特に他の幹部の3人は志が高く、リーダーとしての素質に溢れた3人だったので、その3人と90人を繋ぐこと、理想を実行に移すことを目標にしてきましたが、僕は力不足でした。それでもチームがまとまっていたのは、部員一人一人がオーナーシップを持って活動してくれたからだと思っています。
みんなありがとう。
・サッカー部一の酒豪(そういうキャラなだけかもしれない、かかってこいや)として飲み会では様々な相手と戦いを繰り広げていましたが、自分の中でのベストゲームは何戦ですか?
楽しい場の雰囲気が好きで楽しんでいたらいつのまにかそんなキャラが定着してしまいましたね。
好きこそものの上手なれということでしょうか。
ベストゲームは覚えていません。ベストに近いパフォーマンスができればできるほど、なぜか記憶が無くなっているので。
ただ、サッカー部のみんなとはいつも楽しく盛り上がっていたような気がします。
・なぜ母乳が出るのですか?
実はあれは母乳ではないのです。
骨格と大胸筋のおかげでいつも練習着と胸部は接触していました。汗をかくと、練習着と接触している部分から先に汗が滲んでしまいます。主に両乳首周辺から。
ボニュ吉という不名誉なあだ名をつけた百瀬慎也、会う度にニヤニヤしながらいじってくる小野隼平、誇張しすぎたモノマネでバカにしてくる長谷川将平、そしてボニュ吉を世に出してしまった渡辺隼斗、特にこの4人は悪質だと感じましたので、いつになるか、どのような形になるかは分かりませんが、必ずや、仕返しをしたいと思っています。
本文に移ります。
大野瑞己くんの卒業ダイアリーと「何者」被りしてしまいましたが、最後まで自分らしく、大すかし、ゼロボケで弱さをさらけ出しました。読んで頂ければ幸いです。
「劣等感」
劣等感の多い人生を送ってきました。
はじめは高校生の時でしょうか。
中学生の時、サッカーでそこそこの評価を得ていた私は、県内で1番の進学校にサッカーを使って入りました。
筆記試験で入ったわけではないので、勉強で結果を残せるはずもなく、中途半端な順位を行ったり来たりしていました。
本気で東京大学や医学部を目指す仲間たちを憧れの目で見ていたことを覚えています。
サッカーの実力も圧倒的なものは何1つありませんでした。チームの勝利に貢献するようなプレーは出来ず、3年間の最高成績は岩手県でベスト8。
岩手県で、です。
準々決勝で僕たちに完勝したチームが次の試合で完敗していました。
そうやって勝ち上がったチームも全国大会では1回戦負けでした。
どんなことでも1番にはなれない。
上には上がいる。
僕は何者でもない、何者にもなれない。
そう思わせてくれた3年間でした。
今度は関東リーグに所属する大学でサッカーをするために勉強を使いました。
ここでも王道の入り方は出来ませんでした。実力も自信もなかったからです。
入学してみるとここでも僕の立ち位置は中途半端なままでした。
学科の友達には
「サッカー部って強いんでしょ、すごいね」
と言われ、
サッカー部の仲間には
「B類理科って頭いいところじゃん、すごいね」と言われ、
本当は強いのも、頭良いのも、すごいのも僕じゃないのに。
まるでそれが自分であるかのように振る舞っていました。
少しでも追いつきたくて努力するけれど、上にいるやつらももちろん努力している。
差が縮まらないどころか、広がっているんじゃないかと思う日々でした。
特に同じポジションだった同じ学年の4人には強い劣等感を抱いていました。
1人は遥か雲の上にいて、他の3人にも毎日の練習で実力差を痛感させられていました。
あいつらだけには負けたくないと思いつつも、勝てるイメージが湧かない。
そんな4人でした。
やっぱりここでも、何者でもなく、何者にもなれない自分がいました。
代が変わり、新チームを立ち上げる時、副主将を務めさせてもらえることになりました。普段から賢いフリをしていたので、みんなに推してもらえました。3年間で積み上げてきたものがあったような気がして少し嬉しくなったことを覚えています。
でもやっぱり何もできませんでした。
サッカーでスタメンになれる気配はなく、学年ミーティングで主体的に話している自分が恥ずかしく思えてきました。
「お前サッカー下手なのによくそんなに喋れるな」
他の人が話している時は何とも思わないのに、自分が話しているとそれを客観的に見て小馬鹿にしてくる自分がいました。ピッチ外でも上手く立ち回れていませんでした。
関東リーグ開幕2週間前、怪我人が続出したことと練習試合で負けが込んでたことからスタメンに抜擢していただきました。
3年前はCチームのベンチ外、1年前もIリーグのベンチだった男が関東リーグの開幕戦、スタメンでピッチに立っていました。
あそこからの景色は忘れません。4年間で何十試合も出る人にはただの日常でしかないのかもしれないけど、4年間やっとのことでたった2試合だけ出た人間には最高の景色でした。
関東リーグのピッチから見る学芸の応援はやっぱりNo.1だよ。
白線の外と内で見える景色は全然違う。
自分にどれだけ実力が無くても、目指すべきは関東リーグだよ。
体育科じゃない。全国に出たことが無い。同じポジションに敵わないやつがいる。今はBチームでも試合に出られてない。
そんなことは関係ない。関係あるのは、自分と向き合えるかどうかだけ。
可能性は誰にでもある。
俺でも出れたぐらいだから。
スタメンから外れ、トップチームからも落ちた自分にはもう応援することしかできないけれど、学芸の勝利を心から願ってる。
「みんなと大きなことを成し遂げたい」
そんな熱いことを平気で語れるキャプテンと90人の仲間と、初めに成し遂げたかったこととはかけ離れたことだけど、最後にはみんなで笑ってる。そんなことを願ってる。
そして、自分と同じくらいかそれ以上に勝利を願い、声を枯らす仲間たちがいる。
夜明け前が一番暗い
俺たちなら出来る。必ず出来る。
4年間で結局何者にもなれませんでした。
そしてこの劣等感はこの先の人生でも続いていくのでしょう。
これからも自分よりすごい人達に出会い、自分より努力出来る人達に出会い、上には上がいることを感じ、その度に自分の小ささに落ち込み、劣等感を感じる。
そんな時はこの4年間のことを強く思い出すのでしょう。
悔しい思いを何度もした4年間。
辛い思いも何度もした4年間。
世に言う大学生らしいことはほとんど出来なかった4年間。
人の応援ばかりしていた4年間。
それでも僕にとっては自分の力で勝ち取ったかけがえのない4年間。
これから襲ってくるであろう劣等感もこの4年間の経験があれば乗り越えていけそうです。
劣等感にまみれた人生だったけれど、人には恵まれました。
22歳になるまで何一つ不自由なく、そして僕のことを一番に考えて育ててくれた、僕を誇りに思ってくれた家族。私たちを常に導き、最高学年となった私たちの道しるべとなってくださった先輩方。時には笑い、時にはぶつかり、僕たちを支え続けてくれた後輩たち。サッカー部以外のコミュニティを僕に与え、僕の息抜きに付き合ってくれた多くの友人たち。怪我の絶えない僕をいつもサポートしてくださったアスリートウェーブの方々。最後に、4年間で多くの苦楽を共にしたサッカー部の25人(小栁もいれた)の同期のみんな。
あなた達がどう思っているかは分からないけれど、あなた達と過ごせたこれまでの僕は本当に幸せでした。
もしこの人生をやり直せるとして、どんな人生を歩むか決められるとしたら、僕は何の迷いもなく、あなた達のそばで、息子として、孫として、兄として、後輩として、先輩として、友達として、患者として、そして何より仲間としてあなた達と共に生きていきたい。
そう思える僕は幸せ者です。
本当にありがとう。
それでは最後に「荻窪の母」として部員から絶大な人気を誇るヨーコさんの御子息である藤田昇平くんに質問をして、卒業ダイアリーの締めくくりとさせていただきます。
1、チームの人気者藤田くん。
どうやったらそんなに友達が増えるのでしょう。人と上手く話せない僕らにアドバイスをお願いします。
2、「アラート」という言葉をチームに浸透させてしまうほどの影響力を持つ藤田くん。
そんな藤田くんが尊敬している人物がいれば教えてください。
3、今シーズン規律委員としてチームをまとめてくれた藤田くん。
チームに対して、彼女に対して、愛を語ってください。愛ってなんですか?
藤田昇平はピッチ内外でとても頼もしい存在でした。これまでチームのために動き続けた彼がこの時期に何を思い、何を記すのか、とても楽しみにしています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。シーズンはまだ続きます。あと少し、学芸のために、お力添えをお願いします。
あ、僕幸せ者には、なれてましたね。
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