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卒業Diary.12 百瀬慎也

みなさんこんにちは。

長野県松本市出身、E類生涯スポーツコース4年百瀬慎也です。

3ヶ月ぶりの部員ブログは卒業ダイアリーです。


自己紹介は前回の部員ブログの方でもさせていただきましたので、省略いたします。


早速、口ちっちゃ王国国王兼顔でっか王国伯爵を務める、僕の相棒藤田の質問に答えていきたいと思います。

彼に対する僕の思いははかりしれません。

試合中に消えそうになった火を何度つけなおしてもらったことか。

一緒に試合に出てて1番頼れる選手って言われたことあるけど、今となってはこっちのセリフだバカ!


では質問へいきましょう!



Q1

オシャレで有名なしんやくん。オシャレに気を遣ってるようですが、意識していることはなにかありますか?



皆無です。


オシャレなんて滅多に言われませんし、服は着れればいいと思ってるくらいです。

これからはちょっとは気にするようにします。


誰が興味ある、これ

聞かないでって言ったじゃん



Q2

蹴球部、言動がおかしいランキングNo.1のしんやくんですが、1番言動がおかしいエピソードを教えてください。



もっといい質問が欲しかった。

そんなにおかしな言動をした記憶はパッと思い浮かびませんが一応振り返ってみます。





結構ありました。

自分が思う1番はコンプラ的によくないので書きません。

今年で言ったら、そうですね。うちの部員と楽しそうに話してた見ず知らずの陸上部の女の子に話しかけたことですかね。素敵な笑顔で話していたのでこう言いました。


「Your smile is very cute」


初対面です。

今冷静になって感じることはやっぱほんとに頭おかしいのかなってことです。こんなことはするもんじゃありませんし、もちろん普段はしません。ここで一発頭のネジを外したら、そこにいる人全員に幸せな笑顔が訪れる。そう感じる時にしかやりません。

自制はできます。


ちなみにその女の子とはその後仲良くなりました。



Q3

あと、聞きたいことはSNSでは公表できないようなことなので、最後の質問は適当に聞きます。

休日の過ごし方と、試合の日の過ごし方を教えてください。



ご配慮ありがとうございます。

ヒヤヒヤしていました。安心しています。

適当な質問ですがここは真面目に答えます。


休日の過ごし方は、どっか遠くに遊びに行く以外は、ライブ映像をみたり、Netflixで映画をみたり、勉強をしたりしています。それか寝てます。


ここ最近は創太(2年佐藤創太)の家で過ごすことが多いです。

創太には、今年ピッチ内外でお世話したり、されたりしました。たいちゃん(1年新井太陽)、拓(2年金城拓)、創太のおかげで大変刺激的な楽しい生活を送れました。大好きです、ありがとう。〜bros before hoes🐝〜



次に試合の日の過ごし方ですが、こだわりすぎてはいませんが同じ流れでいつも過ごしています。

公式戦の日は、近所の公園まで軽く散歩してストレッチして、5分くらいベンチでぼーっとしながら試合のイメージをします。

帰宅後、好きなアーティストのライブ映像を片目にシャワーを浴び、YouTubeで山雅の応援を聞いて会場に向かいます。応援を聞いて試合に臨むというのは高校時代からやっていますがめちゃくちゃアガります。

試合前は毎回同じ音楽を聞いています。ある悔しさを忘れないように大学3年生の4月頃からずっと同じ曲を聞いています。


だいたいこんな流れです。

僕はこれである程度いつも一定の気持ちで試合に臨めているので、そういうのがあるといいかもしれませんね。



Q&A終了です。

それでは本題にまいります。



ここで伝えたいことは山ほどありました。

自分がこのチームで何を考えてどういうことをしてきたか、これからのチームになにをしてほしいか、など。

それを書いたけど全部消しました。

そっちを書いておいた方が後輩たちのために良いのかなって思ったけど。



書いておかないといけないことがあった。

自分への戒めのためにも。

後悔はしたくないと思って入部した自分が、あんなとこでこの歳にもなって後悔したことがあった。




これから僕の大学サッカーでの後悔の話をします。

第2の僕が現れないように。




これを書くにあたってすごく勇気がいりました。

これを読んで百瀬慎也ってこんな弱いやつだったんだって思ってもらっても構いません。

普通の人はこんな後悔しないと思いますし、読んでいてこいつバカだなって思うことが多いと思いますがどうかお付き合いください。




これから書く話は3年のシーズン開幕直前の出来事です。忘れもしないあの日。




1年生の頃は学連だった。

選手として4年間やっていく自信と覚悟がなかった。

転機は当時のBチーム4年生の引退試合をみて。

チームのために身を粉にして身体を投げ出す姿勢、それをみて熱量が高まっていく応援している人の姿。

熱くなった。

もう1度あのピッチに立ちたい。

またあのボールを追いかけたい。

応援されたい。本気になりたい。

自分の失いかけてたサッカーに対する想いを蘇らせてくれた。



学連から選手という異例な形ではあるが途中入部という形で2年生から選手として蹴球部に加入を果たした。

選手になるにあたって目標は決めていた。

「関東リーグに出て、チームの勝利に貢献する」

これを残りの3年間で絶対達成しようと決めた。



1年目はそれなりに順風満帆だった。すぐにBチームに昇格し、あの錚々たるメンツの中1年間Iリーグで多くの試合を経験させていただいた。


そしてシーズン終了後トップチーム昇格。

ここまでうまくいきすぎていた。  


Bチームでも多く試合に出させていただいたのである程度はできるだろと勘違いしていた。

全く通用しない。

でも、絶対ついていってやると思っていた。決めた目標は達成したかった。

3年生ながら先頭で常にチームを盛り上げ続ける海里(4年原山海里)の姿をみて、刺激を受け自分も声を出して盛り上げることをしていった。逆にいうとできるのはそれくらいだった。

何も通用しない自分が嫌で、正直練習に行きたくない日も何日もあった。



シーズン前関東リーグ登録メンバーが監督から送られてくる。僕は主務という立場上、それを他の選手より先に知っていた。

2018年2月18日。


30人のメンバーの中に僕の名前があった。


プレーは全然だったし、トップチームとBチームの間にある分厚い壁もわかっていた。

途中のカテゴリー編成でBに行く人もいた。それでもなんとか生き残れた。

目標にしてる「関東リーグに出て、チームの勝利に貢献する」という大前提のスタート地点には立てるんだと思ってまた頑張ろうと思った。

その時は怪我で調整中だったし正直入ると思ってなかったから、メンバーに名前が入っているのを見ただけで力が出た。

でも、心のどこかで、人数合わせだなっていうのも感じていた。


 

そんなことも感じていたが、この時まだ目標は見失っていなかった。あの目標が達成できれば絶対素晴らしい景色がみれる。そう思うと頑張れた。



メンバー表提出直前になって新たなメンバーの連絡がきた。これが忘れもしないあの日。

2018年3月5日。


元々入っていた30人の中から僕だけが外れ、新しい1年生が入っていた。


そこで人数合わせなんだろなと思いながらもなんとか食らいついて行こうと目標に向かっていた糸が急にプツンと切れてしまった。

驚くほど簡単に。

怪我で調整してたからじゃない。

完全な実力不足。


まだ追加登録を目指して頑張るべきだった。

追加登録からもその目標に向かって闘うことはできた。

でもそれができなかった。

なにに対しても無気力になり、軽いプレーばかりになった。ほんとにありえない。

声も出せなくなった。



いち早くこの30人+αの"+α"の状況から逃げ出したかった。

"+α"の状況が情けないと思っていた。

意味わからないプライドがあった。

このチームにいることの意味を見出せなかった。

そう思うことが1番情けないことだなんてその時はわからなかった。


そして監督に「明日からBチームで活動させてください」そう伝えた。伝えてしまった。

自分に良いように言い訳をした。

「Bチームでもう1年試合に出続けて経験を積みたい、そしてまたトップに戻りたいです」

下のカテゴリーで試合に出続けた方が成長できるという考え方もあるけど、それは違う。

とりわけこのチームにおいては。

絶対にトップチームのあの刺激的な練習を繰り返していた方が成長できる。強い個性を持った選手にどう対応するか、それを考えて毎日プレーした方が絶対に成長できる。

そんなこともわかっていた。



情けない。そしてあまい。



急にBチームの練習に向かう僕の姿をみてトップの先輩方は気を遣って声かけてくれたり、頑張れよと言ってくれた。

「もう一回Bで修行してきます」ってつくり笑いしながら、Bの練習に向かった。

ごまかして偽って笑って言い訳とプライドにまみれていた。

でも、なんかちょっと気分が楽になった気もした。メンタルが弱く、精神的にも結構滅入っていたのでBに戻ることは何かのしがらみから抜けるようだった。



そんなある日いつもふざけた絡みしかしない裕二郎(4年宮地裕二郎)に一言こう言われる。

「お前だせぇよ」

面と向かってこの言葉を言われたとき、ふと我にかえった。 

この時になってやっと自分がどれだけ愚かな判断をしてしまったんだと気づく。

いとも簡単に自分の目標を手放していた。

逃げてしまっていた。

裕二郎があの時あの言葉を言ってくれなかったら今でもまだ言い訳と取るに足らないプライドでいっぱいだったと思う。


大学生活で1番自分が情けないと感じた1日だった。あの日は悔しくて情けなくて一日中泣いていた。

もしかしたらもうあそこに戻ることはないのかな、そうも思った。



でも裕二郎があの時あの言葉を言ってくれたから、僕は自分がしてしまった判断を受け入れられた。Bチームで、逃げた先で、本気で頑張ろうと決意ができた。



そうしてBチームのために必死に闘えたこの2年間は今僕にとって財産となる。

自分が下してしまった判断をちょっとでも良いものにしようと思って、必死にチームのために声を上げ、闘ってきた2年間は本当にかけがえのない時間だった。

財産と、そう思えるまでは時間がかかった。

逃げこんだ先の暗闇でこれでもかってくらいもがきまくった先にやっとみえた一筋の光みたいに、今この2年間が財産となっている。

苦しくなったときも逃げずにやってこれた。

このチームが大好きだった。このチームになら全部捧げられるかも、そんくらい思えた。

そう思わせてくれた仲間には本当に感謝したいです。

必死こいてたこの2年間で、先輩にも後輩にも同期にも僕のことを欠かせない存在、チームに絶対いてほしい存在、そう口にして言ってくれる人がたくさんいた。

そういう言葉を聞いてちょっとは救われた気がした。



もちろんこの2年間もトップチームに戻ることを諦めていたわけではなかった。

最後のシーズン開幕戦1週間前にも、怪我について相談してるとき大コーチ(M2炭谷大)と遥(3年只野遥)には「絶対今年はトップに上がるので、そのためにやらせてほしい」

そう言っていた。


今シーズン1度だけ檜山監督がこんな僕にチャンスを与えてくれた。人数が少ないためトップチームの練習試合に帯同してほしい、と。

正直もうないと思っていた。その時Bから数人呼ばれたけど名指しで

「百瀬、いけるか」と、声をかけてくださった。

負けた試合の直後だったけど強く「はい」と、そう答えた。嬉しかった。




しかし結局そんなチャンスもものにすることができず、明後日「Bチームの百瀬慎也」として引退試合を迎える。




みんなにはいつもアホで元気な姿をみせてきたけど、正直辛い時期がほとんどでした。家で悩むことも少なくなかった。絶対そんな姿はみせたくなかったからみせなかったけど。


でもそんな辛いことも忘れるくらいにラストシーズンは楽しかった。

このチームをより良いものにしてやるっていう自信と覚悟をぶらさず持ち続けることができたから。

自分が逃げこんでしまったこの道でやらなきゃいけないことを続けてこれたから。

自分がこのチームにいる意味を見出せた。

Bチームで試合に出ようともがいてる後輩の姿、悔しさを抱えながら遠くの会場まで応援に来る仲間の姿。

それをみて俺は俺のためじゃなくて、このチームのために闘おうって思った。




この卒業ダイアリーを通じて伝えたいこと。


まずは、こんな僕を反面教師にしてほしい。

目標を簡単に見失わないでほしい。

目先の物事に気を取られないでほしい。

取るに足らないプライドなんてすぐそこに捨ててほしい。

その時は辛いかもしれない。苦しいかもしれない。

でもそこで逃げたら、そのことを引きずってもっと後悔する。

そこでいかに踏ん張れるか。自分を奮い立たせられるか。

顔を上げて周りの仲間の闘う姿をみれるか。周りの仲間が持つ火で、自分の火をもう一度灯せるか。

僕はその時それができなかった。



僕のような選手になってほしくない。

2度と僕みたいな選手が現れないでほしい。

特にトップサテでずっとシーズンを過ごす選手や、どれだけやってもBチームのメンバーに定着できず腐りそうになってる選手。

プロになる夢やあらゆる目標を見失いかけそうになっている選手もそう。

逃げるのは簡単だけど、そこに戻るのはほんとに難しい。

だから踏ん張ってほしい。頭使ってやり続ければ絶対大事ななにかが手に入ると思う。

確信はできない。俺がそれをできなかったから。



そして次に。

仮に僕みたいに目標に向かって間違った判断をしてしまったと思うことがあったとしたら。

もうその選んだ道は変えられない。もしかしたらその判断が間違っていないのかもしれない。

判断が正しいか間違っているかなんてその時はわからない。

だからどの道を選んでも、たとえそれが逃げた先だとしても、その後の行動は絶対に大事にしてほしい。

そうすれば新しく大事にできるものが見つかるかもしれない。

下した判断を正解にしようとする努力をそこではしてほしい。

それが結果として悪いものになってしまったとしても、おそらくそこでの過程のなにかは財産になる。

それはこの2年間を通じて僕が自信を持って言える唯一のことです。



正直な本音はね、明後日を引退試合になんてしたくない。

みんなには言えなかったけど、関東リーグ最終節11月23日まで、ださいけど、迷惑だけど、まだ残り2週間追加登録に向けて闘わせてほしい。

もしダメでも最後はやりきってダメだったな、で終わりたい。


あの時あんなに簡単に手放してたものが今になって死ぬほど惜しい。

あの時1番いきたくなかった場所に、今は1番行きたい。

あんなこと忘れるくらいこの2年間やってこれたはずなのに。


  



こんな僕みたいになりたくないですよね。

みんなは夢や目標に向かって、確固たる信念と覚悟を持って進み続けてください。

これからの僕もそうします。

もう後悔はしません。ここで誓わせてください。





終わりに。

卒業ダイアリーとして、このような場を借りることができるので特に感謝を伝えたい方々へ挨拶させてください。


松本山雅FC関係者の方々

小2から高3までの11年間、本当にお世話になりました。

山雅でたくさんのコーチに出会いましたが、どのコーチもみんな僕の自慢のできる尊敬できる方ばかりです。

喜怒哀楽を共にした同期も大好きです。

仲間と指導者には今まで本当に恵まれてきました。

そして応援してくださった方々。

いつも蹴球部の投稿をチェックしてくれているのに気づいた時は嬉しかったです。

毎年かりがねで山雅と試合がありましたが、いつもそこにいれなくてすみません。

そこで闘っている姿をみせたかったです。

もっと上の舞台で活躍している姿を報告したかったです。

この思いは悠登(3年高井悠登)に託しました。

今後も後輩たちへの応援よろしくお願いします。ありがとうございました。



部員のみんなへ

何度も言いますがこのチームが本当に大好きでした。

同期のみんなはミーティングで真面目に意見したり、急にふざけたりする僕にさぞかし戸惑ったことでしょう。同期の君らが側にいたから頑張れました。ありがとう。

裕二郎、やっぱ君には感謝してます。

あんなこと言ったの覚えてないと思うけどあの言葉、そして自分が一番辛いはずなのにキャプテンとしてずっとみせてくれる強い姿勢。

最終節世界一笑顔が似合うお前の笑顔がみたいです。


トレーナーやマネージャーには特に感謝してます。

みんなの存在が当たり前じゃないとわかるようになってから、見え方が変わりました。

たくさんダル絡みしてごめんね笑

これからも選手のみんなを支えてあげてください。ほんとに感謝してます。


あと、学連はほんとすごいです。

彼らが選手の見えないところでどれだけ労力かけて仕事してるかみんな知らないですよね。

いや知らなくてもいい存在なのかもしれない。

けど、知ったらきっともっと頑張れます。


来年のチームは、自分たちなら間違いなくすばらしいチームになるって言ってた後輩がいたので心配してません。

まずはこのチームで、全員で、関東リーグ残留に向けて闘いましょう。



そして両親へ

3人兄弟の中で1番迷惑をかけたのは俺でしたね、それは自覚しています。

お父さんに初めてアルウィンに連れていってもらったこと、お母さんに初めて山雅の練習に連れていってもらったこと、今でも鮮明に覚えています。

その頃から今までずっと俺のサッカー人生を見守ってきてくれてほんとにありがとう。

いつも直接素直にありがとうと言えなくて、ごめんなさい。

いつも支えてくれて、俺の進みたい道を進ませてくれてほんとに感謝しています。

必ず恩返しします。

バカ息子のちょっとは成長した姿を観にきてください。





僕の今までのサッカー人生に関わっていただいた方、全員にここで感謝申し上げたいと思います。

ありがとうございました。





最後に今シーズンBチームのキャプテンとしてチームを引っ張ってくれた村田雄大に質問をして終わりたいと思います。



Q1

女の子にあまり縁がないムラティオスくん。率直に好きな女性のタイプを教えてください。


Q2

一挙手一投足すべてにおいて、公務員であったムラッティ・ジャクソンくん。来年から晴れて本物の公務員になるそうですが、あなたは将来の東京を、そして日本を、どうしていきたいですか?


Q3

今シーズンBチームのキャプテンとしてチームを引っ張り続けた村田雄・D・AIくん。Bキャプテンとしてなにか意識していたことはありますか?良かったこと、正直苦しかったことも教えてください。






高校最後のJユースカップの最中、大きな病気を2つ患い人生初の入院を短いスパンで2度も行った。今でも当時のことを思い出すと、胸が苦しくなる。もうサッカーも辞めようと思っていた。


それでもまたこの舞台で闘えてよかった。

かえってきてよかった。戻ってこれてよかった。

この世界に戻してくれて、たくさんの経験をさせてくれて本当にありがとう。

 



ダイアリー史上類をみないひどく長く、まとまりのない文章になってしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。



これからも東京学芸大学蹴球部をどうかよろしくお願いいたします。




百瀬慎也





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