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卒業Diary.13 村田雄大

今回卒業ダイアリーを担当します。E類生涯スポーツの村田雄大です。

出身は埼玉県の市立浦和高校です。敬愛する市高の先輩方の背中を追い学芸大に進学しました。入部時には6人が所属し、部内の最大勢力であった市立浦和も私1人を残すのみとなり寂莫たる思いです。

今シーズンはBチームのキャプテンを務めています。これまでにキャプテンを務めていた経験がなく、チーム発足当初はキャプテンの有り様について考えを巡らせることもありました。チーム運営をしていく上で慎也(4年/百瀬)、藤田(4年)、永吉(4年/藤川)にはたくさん助けてもらいました。また、俊(3年/岩田)や五十嵐(3年)といった心強い後輩にも支えられました。他のBチームのメンバーにも感謝しています。本当にありがとうございました。

まずは誰もが怯える学芸の無茶ぶりモンスターこと百瀬くんからの質問に答えていきたいと思います。

Q1,女の子にあまり縁がないムラティオスくん。率直に好きな女性のタイプを教えてください。

髪が肩にかかる内巻きの女性を見ると素敵だなと思います。清楚で優しく笑う女性がタイプです。

良縁に恵まれることを願うばかりです(笑)

Q2,一挙手一投足すべてにおいて、公務員であったムラッティ・ジャクソンくん。来年から晴れて本物の公務員になるそうですが、あなたは将来の東京を、そして日本を、どうしていきたいですか?

最期を迎えるその時まで''健康,,でいられる。

そんな社会を作って行きたいですね。

Q3,今シーズンBチームのキャプテンとしてチームを引っ張り続けた村田雄・D・AIくん。Bキャプテンとしてなにか意識していたことはありますか?良かったこと、正直苦しかったことも教えてください

「チームを知る」「人を知る」ことが重要だと考えました。そこで一回の練習で少しでも多くの部員とコミュニケーションをとることを意識しました。もともと社交的な人柄ではないのですが、限られた時間の中でも多くの部員と意思の疎通を図ることに務めました。

良かったことはコミュニケーションをとるようになってから相手の表面だけではなくより内面に近いところを知ることができたことです。また、自分のことも相手に知ってもらえたので相互理解が深まったと思います。

苦しいと感じたことは正直ありませんでした。それはたくさんの人が自分を助け、支えてくれたからです。それでも強いてあげるとするならば、夏にBチーム全員でミーティングを開いたときは骨を折りました。人の意識を変容させることはこれほどまでに難しいものかと思いました。それと同時に自分自身の至らなさを痛感しました。

質問に対する答えは以上になります。

最後は無茶ぶりモンスターも手加減してくれたようです。

気を取り直して本文に移りたいと思います。

引退を目前としたいま、蹴球部を最後まで続けてきて本当に良かったと心から思います。

大学入学前に思い描いていたような最高の結末であったかと言えばそうではないけれども、決して後悔はありません。

蹴球部でサッカーに打ち込んだ日々は間違いなく人生においてかけがえのないものとなりました。

大学4年間を振り返ってみるといろいろな思い出がよみがえってきます。

Iリーグに初めて出場したこと。Cチームに落ちたこと。3バツで坊主になったこと。初めてスタメンで試合に出たこと。先輩の引退試合で負けたこと。TOPチームに上がれたこと。

TOPチームから落ちたこと。Bチームキャプテンになったこと。4年生でたくさん話し合ったこと。

ここでは書き尽くせないほどたくさんの思い出があります。

蹴球部は多くのものを与えてくれました。

しかし、蹴球部で活動を続けることによって我慢しなければならないこともたくさんありました。

大学生は自由に扱うことのできる時間が多い分様々な"選択,,があります。

勉強や遊び、バイト、そして部活といったところです。

蹴球部での活動は他の"選択,,との並立を困難にします。

実際、友達からの誘いがあってもほとんど断らざるをえなかったし、急な予定変更によってバイト先に頭を下げることが何度もありました。

私は蹴球部で活動を続けることは何かを得る一方で、何かを失う行為であると捉えています。

それでもサッカーを生活の軸に添えて活動してきました。

それは自分で蹴球部を続けるという"選択,,をしてきたからです。

そんな中でどうしても蹴球部を続けるという"選択,,を取ることに悩んだ時期がありました。

百瀬くんからの質問にあったように私は公務員になることを目指していました。

そのため大学2年生の頃から予備校に通い、採用試験の対策を進めていました。

試験まで半年を切り対策に本腰を入れようと考えたときに自分の中である葛藤が生まれました。

「蹴球部を続けるべきか?」

プロを志望していない私にとってはサッカーを続けることが卒業後の進路に直結するわけではありません。

正直、とても悩みました。

将来に対する不安がありました。

自分がサッカーをしているときに他の受験生が対策を進めていると思うと落ち着くことなどできませんでした。

必死に必死に悩みました。

サッカーなんか、サッカーなんて、、と投げやりになっている自分もいました。

そんなときにBチームのキャプテンを決めるという話が出ました。

正直、最初は全く関心がありませんでした。

自分は蹴球部を辞めようとすら考えているのだから。

幾日も思い悩んでいるうちにふと思いがけない言葉が耳から入ってきました。

「サッカーも勉強も全力で取り組んだなら満足できるんじゃない?」

家族からの言葉でした。

家族の誰からの言葉なのかは忘れました。

結果ではなくその過程に目を向ける視点に気づかされました。

そして、蹴球部を続けることに決めました。

蹴球部を続けるという"選択,,をしたのであれば全力で取り組もうと考えました。

挫けそうになった自分を鼓舞するために、サッカーともう一度真剣に向き合うためにキャプテンになって最高のチームを作ろうと決めました。

正直、自分がキャプテンに立候補したことに驚いた人は多いと思います。

自分本位な考え方だったとは思います。

ですが、その分半端な気持ちではやっていません。

蹴球部と試験対策を並行して行うことは精神的にも肉体的にもかなり厳しかったです。

それでも自分の"選択,,に責任を持とうと考えました。

今シーズンを振り返ってみて別に良いキャプテンではなかったと思います。

正直、嫌いな人も多かったでしょう。

それでもIリーグの残りの試合を勝つために、このチームを少しでも良い形で終えるために最後までやり抜きたいと思います。

最後に後輩たちには蹴球部での活動を含めた大学生活を後悔なく終えて欲しいと思います。

自分のダイアリーは蹴球部を4年間続けることを勧めているわけではありません。

自分と同じタイミングで蹴球部をやめる"選択,,をし、夢を叶えた人も知っています。

ただ、後悔のしない"選択,,をしてほしいです。

そして一度決めたのであればその"選択,,に責任を持ち、最後までやり抜いて欲しいと思います。

それがきっと後悔のない大学生活を送る答えだと思うから。

最後に埼玉サッカー界でその名を轟かせ、名前を知らない者はいないほどの知名度を持つ立石くんへ質問をして終わりたいと思います。

・試合会場に彼女とその家族が応援に来ていて、送り迎えをしてもらうほど仲の良い立石くんですが、彼女のお父さんの好きなところを教えてください。

・自分とは全く違う人生観を持ち、よくそのことで意見を対立させていた立石くんですが、どんなライフプランを思い描いていますか?差し障りのない範囲で教えてください。

・仏頂面な反面、褒め上手で人たらしな立石くんですが、人と接する際に大事にしていることがあれば教えてください。

以上で私の卒業ダイアリーは終わりとなります。

学芸大学蹴球部に関わる全ての方々に感謝申し上げます。4年間幸せでした。ありがとうございました。


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