卒業DIARY 13 「自律」 大竹陸
秋も一段と深まり、日だまりの恋しい季節となりました。皆様お変わりなくお過ごしですか。
こんにちは。今回のダイアリーを担当させていただくE類生涯スポーツ4年の大竹陸です。
部員ブログの方で自己紹介をしていなかったので軽くしたいと思います。
私は花の都東京、の端っこの江戸川区出身です。
高校はあの偉大なる先輩まちゃさん(昨年度卒業)と同じ流経大柏高校出身です。軽くまとまったのでネモの質問に答えていきたいと思います。
Q1.実は生スポの中で最もGPAが高く、真面目な一面を持つ陸ですが、どうしてそんなに悪人面なのですか?見た目でとても損をしていると思います。損したエピソードなどもあれば教えてください。
A1.悪人面ではく、ワイルドな面なのです。この違いは紙一重。分かる人には分かるでしょう。ネモ、君にはまだわからないということだ。
練習後など高橋くんと帰っていると高確率で警官に止められます。
確か1年の頃、根本くんとある2人の人と遊んで1人で車で帰っている時に警官に止められ車の中を物色されたことがあります。地元でも、荷物の中身を警官に確認されたことがあります。
顔だけが原因ではないと思われますが。
Q2.1年生の頃、頻繁に僕の家に泊まってるというていで、家に帰っていなかったそうですがどうしてですか?遅めの思春期だったのですか?
A2.親に嘘をついて彼女の家に泊まっていたため帰っていませんでした。
多分ですがこの場で初めて親にこのことがバレます。親に言うのがとても恥ずかしてくて言えませんでした。思春期ですかね。
親へ、嘘をついていてすいませんでした。
ネモへ、嘘に付き合ってくれてありがとう笑
Q3.パンフレットの選手紹介で定着したファイヤーディフェスという謎のフレーズはなんですか?必殺技ですか?もし違うのであれば、サッカーにおけるこだわりや自分の武器を教えてください。
A3.僕にもわかりません。とりあえず必殺技ではないです。
かっこいいフレーズで嬉しいです。ですが裏を返せば具体的な武器が自分にないから「ファイヤーディフェンス」という抽象的なものになったんだと思います。
対人の守備だったり走ることは大好きなので武器としたいところですが、この前の試合では初めて足を攣って交代しました。まだまだ足りませんね。武器と言えるように精進します。
では本題へ。この4年間を通して感じたこと、考えたことを苦手ですが文にして伝えてみようと思います。
この4年間は本当にうまくいかないことばかりで大変でした。高校の3年間は身体的にきつかった部分が多かったのですが、大学の4年間は精神的にきつかったです。
高校の頃は練習についていくのが必死で、喰らい付いていければフィジカル面もメンタル面も知らない間に強くなっていきました。
通学の面でも明らかに大学の方が楽でした。高校時代、特に1年生の頃は平日は必ず朝練で毎朝4時半起き、親は弁当を作ってくれていたため4時起きでした。
帰りは22時過ぎをまわりそこから夜ご飯でした。
「これだけやってれば誰にも負けない」
という思いを周りの環境が作り出してくれていました。
けど、大学に入り起きる時間も練習の強度など何もかも変わりました。
環境の変化に気づいていたはものの、そこから自分を律し、厳しくしていくことができませんでした。
自律することができずに、自分でその環境を作り出すことを怠りました。
その結果がこの4年間に現れました。
1年生では1試合しか出れず、勇太(4年林)やだいき(4年堀)、しょうた(4年鈴木)が試合に絡んでいて強烈に嫉妬していました。
応援もせず自ら荷物番を進んでやっていた時期もあります。
アミノバイタルカップでは試合に出れずベンチで隣の試合を見ていて檜山監督に怒られたことを今でも覚えています。
2年生では最初の方と最後の方しか出れずに腐りました。
紅白戦で言われたポジションをやらず、自分で勝手にやりたいポジションをやったりしてました。
ミーティングを忘れたり選手マネを忘れたりしました。
先輩たちに時に怒られ、時に励まされながらサッカーをしていました。
今思うと考えられない、あり得ない行動を取っていました。最初の2年間を無駄にし、3.4年では試合に絡んでいくようにはなりましたが今までの積み重ねがほとんどなく、自分の中にしっかりとした土台がありませんでした。
4年生になって関東リーグが始まって開幕5戦未勝利でした。
今まで試合で緊張したことがあまりありませんでしたが、この時期は毎試合緊張がひどかったです。
1部昇格を目指す意味でも、進路を決める意味でも、最後の1年と考えたら緊張が止まらず体が固まり喉がカラッカラでとてもじゃないけど闘える状態ではありませんでした。
『厳しい状況が訪れた時や大事な瞬間に落ち着き払っていられる。勝とうが負けようが、手にする結果は自分が下してきた決定に依存している。そこまでの過程に納得しているから』
ディエゴ・シメオネの「信念」という本に書いてある言葉です。
大学に入ってから自分を律し、努力を自分の自信に変換して試合に臨めていたら緊張することもなかったと思います。
後輩の皆さんにはこうやって後悔を残して大学を卒業して欲しくないのでこの卒業ダイアリーでこんなことを書きました。自分のことを長々と書いてすいません。
何も結果が残せず、1部昇格という目標も到達できませんでした。
個人としてもこの4年間何も残せずに終わりそうです。
といっても幸運なことにこの時点であと2試合も残っているので短い時間の中、自分を追い込んで暴れたいと思います。
この内容が響く人は少ないと思います。後輩の皆さんは意識が高いし、応援もちゃんとやって自分のことのように喜んだり、悔しがったりします。
1部昇格という目標を後輩の皆さんに達成して欲しいと心の底から思ってます。だからこそみんなが今以上にもっと自分を律して、努力して努力して追い込んで試合の日には
「何でもかかってこい、自分はこれだけやってきたんだから余裕だ」
くらいのメンタルでいて欲しいです。そんな人が11人、そして応援の人も含めたチーム全員がそのメンタルでいたら絶対勝てます。
何にも残せなかった自分が長々と偉そうにすいません。説得力が全くありませんね。もうそろそろ終わります。
最後に感謝の言葉を述べさせて下さい。
両親へ
練習試合・公式戦問わず全ての試合を見に来て、帰りも送ってくれてありがとうございます。
大学での自分の姿に満足していないのは充分わかっています。サッカーを続けられるように、そして満足してもらうために頑張ります。これからも見てて下さい。よろしくお願いします。
同期へ
4年間みんなありがとうね。小・中・高ときて学校生活が一番楽しかったのは大学です。たぶん。それもみんなのおかげです。ありがとう。卒業しても飯とか行こうね。
後輩へ
僕は後輩付き合いはほんと苦手で先輩や同期といる方が楽でした。けどこの大学に入って変わりました。ゆうじろう(3年宮地)や光一郎(2年岩田)が僕のテリトリーにズカズカ入ってきてくれたおかげでだいぶ後輩が好きになりました。
光一郎、俺がいなくなって寂しいゆうじろうのことは頼んだ。
たいが(2年内海)筋トレ楽しかったいつも一緒にやってくれてありがとう。
りょうたろう(2年服部)、もうケガすんなよ。サッカーばっか見ないで勉強しろ。
かずと(1年武沢)、イモ会のことは任せた。
しょう(1年住田)・かいと(1年鈴木)、後輩と誕生日プレゼント渡し合うとか人生で初めてやったよ。
仲良くしてくれてありがとう。
他にも仲良くしてくれた後輩はいるのですが割愛します。
もう終わりたいので次の千葉さんに質問をしたいと思います。
Q1.林くん(4年林)から聞いた噂ですが、千葉さんは最近女に飢えてると聞きました。どうでしょうか?
Q2.堀くん(4年堀)がいつもバカにしていました。カラオケで歌を歌うときのクセが強すぎると。カラオケの十八番とカラオケで歌う際のこだわりを教えて下さい。
Q3.真面目な質問を一つ。千葉さんはサッカー面だけでなく学年ミーティングや広報部などのチーム作りの活動の面においても大活躍でした。
後輩のみんなへ、チーム作りにおいてのアドバイスなどあればよろしくお願いします。
長々と拙い文章でしたが、ありがとうございました。
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