卒業DIARY 16 「感謝」 林勇太
平素より大変お世話になっております。
この度卒業ダイアリーを担当させていただきます、横浜FCユース出身、E類生涯スポーツコース4年、副将を務めさせていただきました林勇太です。
今シーズンは多大なるご支援・ご声援ありがとうございました。
関東リーグも残すところあと1試合となりました。
チームとしての目標には大きく届かなかった。今シーズンのこの結果、自分自身の力不足を痛感しています。
何一つチームに貢献できなかったこと、勝てるチームにできなかったこと、本当に申し訳なく思っています。微力ながら残せることとして、特に後輩たちには自分の書く文章から各々が何かしらのヒントを拾い、来シーズンに繋げてくれたら嬉しいです。
まずは、もっとも大きな影響と刺激を与え続けてくれた鈴木翔太からの質問に答えていきたいと思います。翔太なしではこの4年間における私の成長はもっと小さかった。彼の姿勢に引っ張られるようにして、踏ん張り続けることができた4年間でした。
少なからずずっとライバル意識があったので、本人に直接は言いませんが、感謝の気持ちを込めてしっかりと質問に答えさせていただきます。笑
Q1. 学芸では一番シュートが上手かった林くん、後輩達に向けてシュートの極意を教えてください。
A1. 私のシュートは、練習試合では入っても公式戦では入らなくなってしまうものなので偉そうには言えませんが、、
シュートを打つ瞬間に、どのような弧を描いてゴールに入っていくかを描けているかが大事だと思います。私はいつもコントロールした瞬間から、ゴールネットが揺れるまでの過程をイメージするようにしています。技術的な部分が大きいように思えるシュートですが、意外とそうでもなかったりしますね。
Q2. 自炊モンスター林くんですが、得意な料理を教えてください。
A2. 3年、4年となるにつれて最低限栄養のとれる献立のローテーションのような自炊生活になってしまいましたが、自分でちょっと美味しい、と思えたのは筑前煮とかぼちゃの煮物ですかね。どちらも母親に教わったレシピをそのまま試行しただけですが、誰に食べてもらうわけでもなく、一人で満足し喜びながら食べています。
Q3. いつもいろんな女の子の事を可愛いと言っていますが、どういう女の子がタイプなんですか?
A3. まずこの質問には一つ語弊があります。笑
いつも鈴木くんが、大学の学食あるいは街中で女の子を見ては「可愛い…」とつぶやくので、私は「可愛いね」と同調してあげているだけです。
好きな女の子のタイプとしては、優しい心を持っていて自分を支えてくれる人ですかね。蹴球部の皆は知っての通りだと思います。笑
こんな感じでいいですかね、鈴木くん。笑
それでは、私の卒業ダイアリーに入っていきたいと思います。
4年間の経験から皆様にお伝えしたいことが山ほどありますが、文字にするのが少々難しかったので私の素直な想いを書かせていただきました。
長々しく読みづらい文章ですが、お付き合いいただければと思います。
このブログを読んでくださっている皆さんは、何かに熱中して取り組むとき「誰の為に」全力で取り組みますか?
当たり前ですが、自分の為だと思います。自分が好きなこと、やりたいことに取り組み成果を挙げる、生き甲斐にする、、、目的は様々だと思いますが、自分自身が何かを得るために100%の力を出して取り組みますね。
私も同様です。純粋にサッカーが好きです。そして自分の中に大きな目標があり、その実現の為にサッカーと全力で向き合ってきました。
そんな私ですが、ある時から自分よりも他人の為にプレーするようになりました。
小学校から高校まで8年間お世話になった横浜FCでは、常々「感謝の気持ちを持ちなさい」と口酸っぱく言われ続けてきました。
しかし、感謝の気持ちというものがしっくりきていなかった。もちろん「ありがとう」という言葉を使う機会は多々あったが、心から発している言葉ではなかった。
時は流れ、それが明確になったのが高校2年生の時。重要な時期に復帰が見えない怪我をし、途方に暮れていた。その時、現在もお世話になり続けている恩師であるトレーナーの方に、
「勇太は、自分だけじゃなく誰かの為にプレーできるようになれ。」
という話をされました。
このお話をいただいた理由は様々ありましたが、私はそこで初めて“感謝”という言葉の深さを知りました。当然のように素晴らしい環境でサッカーをしている自分が、どれだけ贅沢で幸せなのか気づけたのです。
私はそこから、自分だけでなく誰かの為にプレーすることを決めた。環境を整えてくれる方、指導者、スタッフ、チームメイト、その時関わるすべての方へ感謝の気持ちを持ち、ピッチ内外において表現することを心掛けました。今サッカーができているのは当たり前のことではないと、自分に言い聞かせるようになりました。
その中で、所属チームや学校が変化していくように、その時々によって関わる人も異なります。自分の周囲の人は時と共に変化していく。誰に対して感謝の気持ちを持つのか、誰の為にプレーするのかを、時の流れに応じ常々考えるようになっていきました。
しかし、どれだけ時間が経ち環境が変化していっても常に変わらず自分の側にいる、誰よりもその人のことを想ってプレーすべき存在がいる。両親です。
生まれて間もなく球蹴りが好きになり、5歳からサッカーを始めた。家の中でボールを蹴っては寝る時もボールを抱きかかえていたぐらい、サッカーにどハマりした。
そんな大好きなサッカーは、両親の力がなければここまで続けてこれていません。歳を重ね、サッカー以外にやらなくてはならないことが増えていく中でも、どんな時もサッカーに全力で打ち込める環境を整えてくれました。
幼い頃から会場が遠方でも応援に来て、毎試合ビデオを撮り、一緒に映像を観ては的確なアドバイスをくれる。必要な道具を揃え、練習・試合の日に関わらず食事を中心に完璧なサポートをしてくれる。サッカーだけでなく、人としても成長していく為にたくさんの話をしてくれた。
大学に入ってからも、実家に帰れば父親はいつも熱い話で沈みかける気持ちを奮い立たせてくれ、母親はどんな時も「応援してるから頑張ってね」と連絡をくれました。
そんな両親にとにかく恩返しがしたかった。他の誰よりも、両親のことを一番に想ってプレーしていた。
この想いが強かったからこそ、大学4年間本当に苦しかった。
環境や指導者の変化、チームスタイル、自分自身のこだわりの強さ、プライド…
長い時間をかけて磨き上げてきた部分が必要とされない、なかなか評価していただけないことが一番辛かったかな、と思います。
葛藤の中でもがきながら大怪我を繰り返し、確かに築き上げてきた自信を失い、どんどんサッカーが下手になる自分を見ながら、目標がどんどん遠ざかっていくのを感じながらプレーする日々だった。
両親にもプレーしている姿を見せられる機会が減少した。
自分自身に原因があり今はそれを自分で一番理解しているけど、試行錯誤を繰り返しながらもとことん上手くいかない4年間だった。
それでも、状況が悪くたってどん底に陥ったって関係なかった。
現状に一喜一憂しない。常に最終的に目指す場所から逆算して、毎日何をすべきかを考えてチャレンジし続けた。コツコツ積み重ねることが、必ず自分に返ってくる。そう信じて取り組み続けました。
"今僕のいる場所が
探してたのと違っても
間違いじゃない
きっと答えはひとつじゃない"
これは、私のサッカー人生の中でその音楽と言葉に魅了され何度も心を奮い立たせてもらった、Mr.Childrenのある曲の歌詞の一部です。
現状が望ましくなくても、それは道を逸れているわけではない。最終目標に向けて必要な過程である。これが私なりの解釈です。
目標だけはブラさずに自分を高め続けてこれたのは、自分自身の目的地をはっきりと認識していたこと、そこに向かって毎日やるべきことが明確だったこと。
そして何より、両親の為にプレーしていたから。必ず這い上がる、活躍している姿を見せる、遥か先の舞台に辿り着いて恩返しする、と心に決めて毎日を過ごしていました。
投げ出したくなる時期もたくさんありました。しかし、父さん、母さんの顔を思い出せば、どんな状況でも真っ直ぐに進める自分がいました。
2人への感謝の想いを、サッカーにぶつけることが最大のモチベーションだった。私がゴールを決めた時、試合に勝った時、1番に喜んで祝福してくれるのが2人だと知っていたから。
他人の為に、他人を想って生きることで、自分自身の持つ最大値を超えられる。
苦しんだ4年間。だからこそ、これを身をもって体感することができた気がします。
輝いている姿をなかなか見せられなかったことが心残りではありますが、これまでの数えきれないサポートに対して今は胸を張って「ありがとう」と言えます。最後まで絶対諦めません。
壁にぶつかり続けた4年間でしたが、振り返れば私はこの大学に、このチームに来るべくして来たんだな、と思います。この4年間で、それまでの人生で経験出来なかったことを味わえた気がします。サッカー選手として、一人の人間として大きく成長できました。
このチームに何か残せたかと聞かれたら、何も残せなかった。副将として、学芸の10番として情けない結果です。でも、プレー以外の面でも組織の為に自分にしか出来ないことを模索し、取り組んだ日々は本当に充実していた。
そして何よりそれに応えてくれる、真剣に向き合ってくれるチームのみんなが好きだった。
苦しんで掴んだ先発出場の試合、私の名前を何度も呼んでくれた皆の応援は、プレー中に涙が出そうなほど嬉しかった。
言葉にはできない、自分にしか分からない大量の財産も、今私の胸の中にはあります。東京学芸大学蹴球部に来て本当に良かった。今は心からそう思えます。
偉大な先輩方から多くのことを学ばせていただくだけでなく、尖っていた自分を正しい方向へ導いていただきました。そして、何度も何度も励ましていただきました。
私から少しでも何かを学ぼうとし、一緒にプレーがしたい、と口に出してくれる選手もいれば、様々な話をする中で私自身が勉強になることもたくさんあり、本当に素晴らしい後輩たちにも出会えた。
そして何より厳しい4年間だったからこそ、試合に出続け常に刺激をくれた奴ら、どんな形でもいいからチームに貢献しようとする奴ら、ふざけた奴、真面目な奴、、一体感があり、本当にバランスの良い同期の皆にいつも救われていました。
このチームで戦えるのもあと1試合。
最後に、最高の仲間と一緒に何かを成し遂げたい。
4年間そうであったように、出場機会があるかどうかはわかりません。
しかしどんな状況でもこの一戦を、チームの為に、応援してくださるすべての方々の為に、そしてサッカーという楽園を好きなだけ楽しませてくれた愛する2人の為に、全力で戦い抜きたいと思います。
私は父親と母親を心から尊敬しています。2人の息子じゃなかったら、今の自分はないと断言できる。もちろん常に上を行く兄貴のことも、憎いぐらいに尊敬してる。
この家族の一員として生まれて、サッカーに出会えて、本当に幸せです。
最後ぐらいかっこいい姿魅せてから、感謝の想いを伝えさせてください。
終わりになりますが、この場を借りて、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と私をこれまでサポートし、応援してくださったすべての方々に感謝の意を述べさせていただきます。
本当にありがとうございました。
次回の卒業ダイアリーは、いよいよ最終回。主将の堀大貴が登場します。
常にチームのことを第一に考え、周囲に模範となる姿勢を示し続けた。そこには、確かな喜びと苦しみがあったことと思います。大貴が主将を務めるチームで1年間共に戦えたことは、私の誇りです。
そんな彼の、心の内から溢れ出る声に期待せざるを得ません。
では、質問を記させていただきます。
Q1. 好きな女性のタイプはなんですか?
Q2. 大学1年生の時からお付き合いをされている女性がいますね。彼女の特徴を教えてください。
Q3. 4年間何度もチームを勝利に導いてきました。一番嬉しかった、または感動した勝ち試合を教えてください。
Q4. 主将として奮闘する大貴をずっと近くで見てきました。この1年間、主将として嬉しかった出来事、苦しかった出来事を一つずつ教えてください。
以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
少しでも何かを感じとっていただけていたら、この上なく幸せです。
締めの言葉として、一つだけ記させてください。
私はサッカーを心から愛しています。
どれだけ苦しみを味わっても、辛いことがたくさんあっても、誰にも負けないサッカーに対する強い気持ちがあった。あらゆるものを犠牲にして、サッカーにすべてを捧げることに大きな価値があった。
やっぱり一番大事なのはここかな、と今になってすごい思います。
サッカーに関わるすべての人に、今一度自分自身に問いかけてもらいたい。自分がどのような気持ちでサッカーと向き合っているのか、サッカーで生きる意味、目的を。
私のこの想いは、自分にしかわからない、誰に何を言われようともブレることのない唯一の大切ものでした。
その心はこれまでも、そしてこの先もずっと、私の中で生き続けることでしょう。永遠のサッカー人として。
18年間に心からの感謝を込めて。
ありがとう。
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