卒業Diary.23 江口達也
平素より私たち東京学芸大学蹴球部の活動にご理解とご支援を賜りまして、心から感謝申し上げます。
今回卒業ダイアリーを担当させていただくいただく、A類保健体育4年の江口達也です。
今シーズン副主将を務めさせていただきました。
このブログの更新は私を含めたブログ係が務めており、毎年の卒業ダイアリーはとても楽しみの1つでした。そしてついに自分の番が来たかと時の流れの早さを感じます。
どうでしょう皆さん、今年の代のブログは?
自分の代だからかわかりませんが、非常に心打たれることが多く感動させられっぱなしです。素晴らしい同期たちです。
それでは夏休み週7で一緒にいて、どんだけ私が卒論で遅くなっても、メシ行こうと言えば行くフッカル界代表の原山の質問に答えようと思います。
Q1.学芸のMr.髭ことエッグマンくんですが、今後目指していく髭へのこだわり、愛をプロフェッショナルに答えてください。
A.1
こだわりを語れるほどではないですが、バリカンで3mmに整えることぐらいですかね。意識しているのはTOKIOの長瀬さんですかね。(調子に乗るな。笑)このヒゲのおかげで男からはすごいモテます。ありがたいですね。(ゲイではありません)
Q2.サッカーと就活をどちらも全力で頑張っていましたが、後輩へのアドバイスをお願いします。
A.2
サッカー続ける人、先生になる人、企業行く人、どんな人もまずは自己分析をしましょう。私は自分を知るために違う視点での助言が欲しかったのでたくさん人に会いに行きました。とにかく色んな先輩やOBの方々に話を聞きにいきました。その中で某大手商社の方にOB訪問へ行き、めちゃくちゃに罵られてから火がつきました。アドバイスもいただきだき、自分のこれまでやってきたことを整理して、その時々に自分は何を考えて、どういう決断を下したかなどを文字に起こしていきました。すると何らかの傾向が見られるので、自分の判断基準や選択する上での材料が分かります。その後は今までやってきたことにその考えを加えたら、もう自己PRの出来上がりです。これから先のことを考えるのではなく、これまでの経験の中に答えがあると思います。
みんな頑張れ!
Q3.僕と違って彼女が定期的にできていたeggmanですが、彼女ができない学芸のダメンズ達に彼女の作り方を教えてあげてください。
A.3
3問目にこれかよ、、
定期的にもいなかったし、そんな偉そうに私から言えることは特にありませんね。
ただ、私はかなり話すのが好きなので、コミュニケーションの中で相手を楽しませることは意識しています。これは人として魅力的な部分だと思うので、本を読んだり色んな人の話してる姿から盗んで身につけるといいですね。頑張れ矢口と丹野!
さてこの辺で質問を終わらせていただき、本文に移りたいと思います。ここからはかなり長くまとまりもありませんが、最後までお付き合いください。個人のことはあまり振り返らず、このチームの1年間の取り組みと、愛する我がチームについての思いの丈を語っていこうと思います。愛情が強すぎるあまり表現が少し行き過ぎてしまう部分もあるかもしれませんが、ご了承ください。
2019年11月16日関東2部リーグ第21節立教大戦 @日立市民運動公園 陸上競技場
この試合に敗北し、東京学芸大学蹴球部として38年ぶりの東京都リーグ降格が決まった。
今までたくさんのOBの方々が積み重ね、残してくれたこの関東リーグの舞台を私たちの代で蹴球部から取り上げる形となった。
4年目にして待っていたシーズンは私にとってこれまで経験したことないほど苦しいサッカー生活とであった。
「副主将として役目は果たせているのだろうか?」
「チームがこんな苦しい状況の時に何やってんだ俺は」
自問自答の日々はまさに、暗く長いトンネルの中を永遠に彷徨っているような感覚であった。
今年1年結果だけみれば、チームとしても個人としても最悪なシーズンになった。
何かが足りなかった。しかしながらチームとしてやってきたことは誰に何を言われようと間違いはなかったと胸を張って言える。
時を遡り、新チーム始動当初。
誰よりもチームのことを考えチームを愛していた自負があった私は副主将に立候補した。理由としてはキャプテンはチームの象徴であるべきだという考えより行動し、チームを支えていく役割をしたいと考えたからだ。
そして何より前年度の千葉さん(OB 千葉丈太郎)のようにチームを色んな面で引っ張っていける存在になりたい、そして昇格という目標に導きたい。
そう強く決心していた。
そしてまず見直そうと考えたのが前年度から行なっていた部内における意識改革だ。
岩政さんがTwitterで言っていた表現を使うならば、"スタンダードの置き所"である。
抽象的な部分になるが、本気でこのチームを愛し、本気でこのチームに対して尽くすという形を作ること。
そしてこのクラブにおいて、やはりトップとBの熱量の差というものも深刻な問題であった、それを同じレベルまで引き上げる。
解決のためには根本的な部分からチームの考え方を変え、統一する必要があった。
そのためにシーズン初めに幹部を中心に4年生で話し合いを重ね活動理念を定め、全部員が何を基準に、何のためにこの部で活動するのかという明確なものを記した。そして何のためにこの部は存在するのかを。
それをもとに、今年1年ピッチ内の目標とは別にピッチ外の目標として、
「学芸ブランドの確立」
という目標を掲げ取り組んできた。
ピッチ内とは違い、明確な結果というものが出ない、目には見えにくいものであるために達成できたかどうかはなんとも言えない。
しかしながら他者評価という観点においては、確実にチームのブランドとして確立したものがある。
それは"応援"だ。
他の人から見てみれば、そんなものかよと思われるかもしれないが、全員で勝ちに行く、チームに対して尽くしていく姿勢がここには詰まっていた。
Bチームの選手は1時間前から来て、声を枯らすほど応援をし続け、メンバーから外れて悔しい想いをしている選手もその気持ちを押し殺して応援をする。
ベンチからも声をかけ続ける。
これまでのこのクラブでは考えられなかった光景である。
この"一体感"というものが形となり、各チームの監督さんから口を揃えて、
「学芸の応援は素晴らしい」
と言っていただけるようになった。
そのようなホンモノの形になった理由は、間違いなく"このチームに誇りを持ち、このチームを愛すること"を一人一人が自覚を持って体現したこと、活動理念をもとにその行動を皆が選択したからであると考えられる。
そして何より愛するチームのために尽くそうとした数名のメンバーが周りに派生させたことが大きな要因でもあった。
そのような言動を引き出すためには発言しやすい風通しの良い環境作りが重要であった。
その過程においては上下関係の距離感を近くすることは必要不可欠であった。
時代は変わり上から指示して上手くチームが運営できるものではなくなった。
one teamにするためには多くの企画をし、チーム内でのコミュニケーションの量を増やす必要があり、そんな取り組みを多く行った。
そのような活動とやっているとチームを認知してもらうための広報活動。
それが直接的に結果に結びつかないとわかっていても。
きっとそれが周りからはよく見られないのもわかっていた。
降格が決まった瞬間、あるOBからこのようなメッセージがきた。
「お疲れ様でした。
あんだけサークルみたいなことやってたらそりゃ落ちるわって感じの1年間だったな。」
そう思われても仕方がないのかもしれない、ただやはりそれは俺たち選手全員の試合に対する取り組みを見てから言ってほしい。サークルの人たちを見下してるわけではないが、そんな生半可な気持ちでこの部にいる奴はもういない。みんな本気で同じ熱量で目の色変えて取り組んでいるのに、なんでそんなことが言えるんだ。
しかしながら、勝負の世界において結果が全てである。言い訳することもない。
明確な理由は、間違いなく私たち4年の力不足以外の考えられない。だから責められるべきは私たち4年、そして幹部のメンバーである。とても責任を感じている。
個人としても今シーズンは試合に絡めるだけの自信をつけていた中3月17日試合中に負傷。
全治2ヶ月。
すぐ治るだろう。きっとみんながやってくれる。
そう安直な考えのもとシーズンに突入。
とても良いサッカーはしている。周りの方々は評価してくれた。
しかしながら結果は最下位。
なんとしても俺が変えてやる。そう強く思った矢先に今度は練習中に骨折。全治2ヶ月半。前期を全て棒に振ることになる。
頭の中が真っ白になり、情けないがグランドで泣きながらアイシングしたのを覚えている。
「チームが苦しいときに何やってんだ、俺は」
感情を抑えきれなかったと同時に無力感に苛まれ
てた。
主将、副主将がいないピッチの上では必死になって変えようとしてくれる、2年生の魁人やカズトや将の姿が。何をやってるんだ俺は。
後期も復帰はしたものの、元のレベルまで自分を持っていくことはできなかった。
最上級生として本当に情けないし、チームの力になれず申し訳ないと思っている。
結局、この想いをピッチの上で果たすことは出来なかった。それでも悔いは一切ない。
なぜなら怪我をして改めて思わされた。
大好きなサッカーをできて俺はこんなに幸せなんだと。
私たちは引退するが、皆さんにぜひ今後の蹴球部の活動に注目してほしい。
こんなことになった後に言うのは無責任だと思われるかもしれないが、後輩たちこの試練を乗り越え1年後関東リーグに戻ってきてほしい。
今の三年生は本当にすごい。チームを引っ張っていける存在がたくさんいる。そのメンバーが上に立ちチームを導いていけば、このベースのできた蹴球部においてさらなる発展をさせてくれると思う。
そしてそうやって関東リーグに戻ってきた学芸は間違いなく強い。
皆さんぜひ見てあげてほしい。
今後の蹴球部の発展を。そして私たちの代そしてOBの方々が叶えられなかった想いを成し遂げてほしい。そんな未来の蹴球部のために今後もサポートしていきたいと思っている。大切な仲間をくれた未来の蹴球部に。
私は幸せだった。ここに来れて。
最後に長くはなりますが、感謝の気持ちを。
まずは監督をはじめコーチングスタッフ陣
本当に4年間ありがとうございました。サッカーの奥深さ楽しさを教えていただき、学び続けることの重要性ということを私の中に落とし込むことができました。
檜山監督はお忙しい中でも切り取って僕らに見せてくれる映像がとても好きで、サッカーをより好きになるきっかけを作っていただきました。
桐田コーチ、なおし君も同様にチームのためにお忙しい中尽くしていただき本当に頭が上がりません。
特になおし君とは色んな議論をさせていただき、価値観を広げることに繋がりました。
本当に感謝しています。
先輩方には沢山お世話になりました。
クソ生意気な後輩で色んな意見を言わせてもらいましたが、それを受け入れて考えてくれたことがとても嬉しかったです。
特に丈君とはチームのことを考え多くの話をした記憶があります。
丈君のようにピッチの上で輝き、そしてピッチ外の部分でみんなを導くリーダーになることはできませんでした。
きっとその魂は後輩たちが引き継いでくれると思います。
皆さん社会人になったらまたご飯行きましょう!
後輩へ
まずは本当に申し訳ない。
頼りない副キャプテンで、そしてこのチームを引っ張ることができなくて。
ただそんな後輩たちと熱い話をするのが好きでした。本当にここから頑張ってほしいと思う。
特に今出れてないけど頑張ってる奴らにはどうにか頑張ってほしい。悠登やヤスは良くメシも行ったし残り1年頑張ってくれ!
光一郎7年間ありがとう、期待してる。
そしてキーパー陣みんながこのチームの生命線。自覚と責任を持って一日一日大切に。
同期へ
自分の思いは今度みんなに伝えます。
引退しても飲みいきましょう!
えーほのみんなもたくさん応援に来てくれてありがとう!
そして大切な家族へ
感謝。この言葉以外ありません。
母は、小さい頃から食事の面や送り迎えをしてくれ、東京の高校へ行きたいというわがままにも、好きなようにしなさい、応援するよ。と言ってくれました。私が出ない関東リーグも15分しか出ない練習試合もどんなに遠くても見に来てくれました。最高の母です。
父は、経済面で非常にサポートしてくれました。
そして単身赴任先からでも試合を見に来てくれました。最高の父です。
兄は、サッカーを私に教えてくれました。
4つ違いというハンデがありながら、しがみついていった結果ここまで大きくなることができました。最高の兄です。
だからこそ、もっと試合に出てる姿を見せたかった。ごめんなさい。しっかりと恩返しします。
長々と話しましたが、これで終わりです。
最後に我がクラブの象徴宮地裕二郎への質問を載せておきます。彼とは自分たちのチームをみんなが愛せるチームをどう作るか、サッカーについても議論し続けました。怪我で辛い時期もお互い励ましあったのも思い出です。
1.先日のブログで少し人間らしさをみんなに見せたと思うのですが、何かとこだわりは強い方だと私は感じてます。
そんな宮地選手の食へのこだわりなど教えていただきたいです。作ってくれる人でもいたんですか?
2.1年の頃からたくさん試合に出て来たミヤチユジロさんですが、印象に残ってる試合をどうぞ。
3.歴代のキャプテンの中でも誰よりも愛されていたYM8さんですが、今年1年キャプテンをやってみて、どうでしたか?ポジティブな感想をお願いします。
以上です。
私はこれで東京学芸大学蹴球部は引退しますが、これからも愛する我がクラブのために出来ることはしていきたいと思います。
そしてみんな引退します。今までサッカー人生最高でした!みたいなことを言いますが、
私は生涯サッカー人であり続けるのでそんな表現は使いません。これまでもこれからもありがとう、我が愛するスポーツサッカー。
江口達也

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