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卒業Diary.25 松本圭介

ご覧になられている東京学芸大学蹴球部OB、保護者の方々

はじめまして。松本圭介と申します。

大学卒業と同時に理学療法士の資格を取得するため上京し、縁あって3シーズンに渡りトレーナーそしてフィジカルコーチとして東京学芸大学蹴球部に関わらせていただいております。

それ以前は、高校卒業と同時に地元である群馬を離れ、筑波大学体育専門学群に進学。同大学蹴球部で選手としてプレーすると同時に、学生トレーナーとして活動しておりました。

まさか自分がこの場で文を書く日がくるとは思いませんでしたが、今年度いっぱいで専門学校卒業、そして東京学芸大学蹴球部からも離れる予定であることからこのような機会をいただきました。

さて、はじめに南コーチから4つ質問が届いてるので答えます。

1,好きな食べ物は何ですか?

飲み物ですが、コーヒーです。

練習前、試合前、南コーチと一緒にコーヒーでカフェイン摂取を欠かさなかったこと。

カフェインが僕と南コーチのエネルギーでしたね。

エネルギー源かつリフレッシュ源としても働いてくれたコーヒーに感謝です。

2,他の人とっては簡単そうなのに、あなたにとってはとても難しいこととは何ですか?

デュアルタスクです。

南コーチはおそらくこれが得意な人ですよね。

僕はめっちゃ苦手です。何か一つに集中して取り組む、ならそれなりにできますが、2つ以上のタスクを同時に要求されるのは本当に苦手です。自分が嫌になるくらいですね。

コツがあれば教えて欲しいです。

昨年卒業した大竹・高橋コンビに、リフティング対決(計算しながらリフティングしあうやつ。)でいじめられたのはいい思い出です。

3,自身に問いかけた質問や疑問でもっとも問いかけた価値があったことは何ですか?

「今後どう生きていきたいか?」です。

将来に対して「何をしたい?何になりたい?」と考えていたのが高校〜大学3年生まででした。

4年生になり大学卒業後の進路を決める時、その頃から「どう生きたい?」を考えるようになりました。それは卒業後この小金井市にきて学芸大に関わり始めてからも同じでした。特この1年は考えたと思います。

この話を書くと長くなるため省きますが(そんなに濃い話でもないですが)、僕が今後どう生きたいか?で一番大切になってくるものは

「ファミリー」

だなと現時点では思っています。ファミリー、超大切です。

4もしあなたが道路標識だとしたら、どれになりたいですか?(理由も含め)

「歩行者専用道路」ですね。

人は誰しも大切な人と手を取り合って生きていく必要がある。

そんなメッセージを、「歩行者専用道路」の標識として発していきたいと思いますね。


「遠回りこそが一番の。」

例えば彼女に振られた過去を

「振られたからこそ、今の彼女に出会えた」と捉えるか、

「振られた時から今まで全てがうまくいかなくなった」と捉えるか。

同じ過去でも現在の状態や捉え方で意味づけは全く違うものになります。

これは全てに通じることで、全ては現象の捉え方次第。自分が何を良しとして、何を悪しとするかで自分の世界は全く違うものになってくるはずです。

でかい壁が立ちふさがった時、困難な状況に陥ったとき、現状に不満があるとき。そういう時に

「あの頃はよかった」「昔は〜してた」「あの時〜だったせいだ」「前と違ってここの環境は〜」

と過去を言い訳にしたり、過去に逃げたりするのは楽ですが、それほどかっこ悪いことはないです。

「あの頃はよかった」のなら、あの頃からさらに経験を積んだ今の自分は、その経験分「もっといい」はずじゃないですか?

辛い経験や意味を感じられない経験、堪え難い経験をすることもあると思います。しかしどんな経験であれ、「経験を得る」ことはあっても「経験を失う」ことはないわけです。

結局それも捉え方しだいで、これまでの経験、現在進行形の経験に対して、どんな意味づけをするかで、自分の世界は全く違うものになってくるはずです。

この東京学芸大学蹴球部では3年間で様々な経験をしました。それは僕に限った話ではなく、学芸ファミリーのみんなに当てはまると思います。

この3年で得た経験全てがいわゆる「いい経験」だったわけではないです。

それでも僕にとっては、3年前の筑波大学時代にインカレで日本一を経験したその時よりも、優勝後に同期と歌いながら飲んだあの夜よりも、東京学芸大での3年間、そして今この瞬間の方が楽しく充実していると胸を張っていえます。嘘じゃないですよ。

それも自分自身が今と過去をどうとらえるかしだいです。

僕の座右の銘に

「現状維持は衰退」があります。

自分が現象維持している間にも、周りは気にせず進んでいくので、相対的には衰退しているわけです。

僕らができることは、常に「前へ」進む意思を持つこと、そして「前へ」進んでいくことです。20歳前後の僕たちは、現状維持ならまだしも、過去に囚われ続けている暇はないです。周りはどんどん進んでいきます

もしかしたらその「前」はもしかしたら遠回りかもしれないけど、それも進んでみないとわからない。遠回りだったらその経験の捉え方しだいで貴重な経験になります。そうすれば最終的には「一番の近道は遠回りだった。遠回りこそが俺の最短の道だった」とかっこいいことが言えるかもしれないです。

だらだらと書いてしまいましたが、言いたいことは

・捉え方は自分次第

・現状維持は衰退

・前へ進む意思

これだけです。

「いつが楽しかった?充実してた?と聞かれたときに常に『今』と答えられるように生きて生きたい」

これは僕がずっと思っていることで、なんの取り柄もない僕ですが、幸運なことに、先ほど書いたように3年前よりも今が一番充実していると言えます。それも捉え方しだいであって、それは自分でコントロールできることだと思ってます。

東京学芸大学蹴球部の選手・学生スタッフのみんなはどうですか?

今シーズンの結果は、客観的には最も望ましくないものとなってしまいました。それはスタッフの一人である僕も責任を感じる部分です。

しかしもちろん結果だけみれば客観的には最悪でも、その過程には様々なことがあったはずです。

そういった過程・結果すべてを踏まえた上で、各々みんなが自分自身では今をどう捉えているでしょう。

本当に物事は捉え方次第でいくらでも変わってきます。

捉え方を変えて前に向かって進んでいく。

それは口で言うほど簡単なことではないですが、今後僕らが70〜80年行きていく中で、よりよく生きていくために重要なことの一つだと思っています。

何度でも言いますが、ここでの経験はとても充実したもので、僕にとってかけがえのないものになりました。この文章ではそれは自分の捉え方しだいだと言ってきましたが、それ以上にこれまで東京学芸大学蹴球部の伝統を紡いできた学芸ファミリーの方々、そして実際に関わることができた選手・学生スタッフ、スタッフの方々のおかげだと思っています。

本当にありがとうございました。

最後に。

今シーズン、ご支援いただいた皆さま、1年間誠にありがとうございました。

非常に厳しい結果となってしまいましたが、シーズンを通して皆様に応援していただいたことは東京学芸大学蹴球部という組織の大きな支えでした。

心よりお礼申し上げます。

そして学芸ファミリーの皆さん。

3年間本当にありがとうございました。

3シーズンに渡り東京学芸大学蹴球部という伝統ある組織で活動し、共に闘えたことを誇りに思っています。

来年度から東京を離れ、1000kmほど遠い地でサッカーの仕事に就く機会をいただきました。お世話になった方々には近いうちにご報告したいと思います。

東京学芸大学蹴球部に直接関わることができる期間は残りわずかではありますが、できる限りのものを蹴球部に、そして選手のみんなに残していきたいと考えています。

今後も東京学芸大学蹴球部をどうぞよろしくお願いいたします。

さて次回の炭谷コーチに質問です。

①ダイナミックチェイサーこと炭谷大コーチ。この東京学芸大学蹴球部での6年間を通して、最もダイナミックチェイシングしたことはなんでしょうか?またチェイシングの結果、何を得る事ができたと思いますか?

②「炭谷今日も勝つ」で有名な炭谷コーチ。コーチという立場から東京学芸大学蹴球部を「瞰(み)た」時、選手時代には瞰えなかった何かに気づいたとしたら、教えてもらえませんか?

③AGAでお悩みの炭谷大コーチ。来年25歳になりますね。僕も南コーチも来年26歳で、3人とも30歳がちらついてきました。20代のうちに「これだけは経験しておきたいこと」はなんですか?


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