卒業Diary.4 小野隼平
平素より大変お世話になっております。
今回卒業ダイアリーを担当します、青森県出身、A類保健体育科選修の小野隼平です。
まずは私の大学サッカーに関わっていただいた、すべての方々に感謝の気持ちを申し上げます。檜山監督、炭谷コーチ、南コーチをはじめとするコーチングスタッフの皆様、松本さんをはじめとするトレーナー陣の皆様、あらゆるご指導・サポートをいただきありがとうございました。また、東京学芸大学蹴球部にたくさんのご支援・ご声援をいただいた皆様、本当にありがとうございました。
皆様のご支援もあり、東京学芸大学蹴球部は活動できております。
引き続き、ご支援・ご声援のほど宜しくお願い致します。
では早速、心友である大野の質問に答えていきたいと思います。
Q1.最初の関東リーグ応援の際にスーツにランシューという斬新なコーデを披露したそうですね。参考にしたいので、ファッションで大切にしていることをお聞かせください。
皆さんご存じの通り、私はtommyhilfigerをこよなく愛する男です。このブランドにこだわりを持っています。なぜそんなに好きかというと、イメージカラ-の赤・紺・白の組み合わせがとても好きだからです。とてもしっくりきています。
にしても、スーツにランシューをこの最後の最後まで言われるとは思いませんでしたね。まあ今でもこのファッションは悪くないと思っています!
Q2.先日は大学院入試お疲れ様でした。どのようなことを追求し、それをどんな風に将来に生かしていくか、これから大学院に行くことを考えている後輩もいると思うので、教えてあげてください。
私は大学院では、日本における「1つのスポーツをやり続け、極めることが美学」という単一スポーツの考え方を変えるために、カナダのスポーツ政策について研究したいと考えています。面接の志望理由みたいになってきたので、やめます。それに至った経緯や、将来のビジョンなど詳しく聞きたい人はメシいこね。
Q3.小野君はこの4年間、きっと力はあるはずなのに、結構怪我に苦しめられていたイメージがあります。小野君なりの怪我との付き合い方をお聞かせください。
自分は本当に苦しめられた人間なので、それについて参考になるようなことは言えません笑。怪我というネガティブな事象からいかにポジティブな部分を見つけて、そこに働きかけるかといったぐらいです。怪我のことは本編でも触れるのに、聞いてこないでよ大野!そりゃ、そうでしょ。こんだけ怪我してたら4年間を振り返るこのダイアリーでふれないわけないやん。
ここから小野隼平、卒業ダイアリー本編スタートです。
立派な文章を書くことが得意ではないので、素直な思いを綴りました。どうか最後までお付き合いください。
4年間を振り返ると怪我で苦しんだ思い出の方が多い。ざっと振り返ってみても4年間の大学サッカー人生で自分が実際にプレーできた期間は2年半くらいだったと思う。そして、自分が万全の状態でプレーできた期間は、1年生のときの約1か月くらいだっただろう。その他の期間は、足首のテーピングは欠かせなかったし、どこかしらに爆弾を抱えながらプレーしていた。
この大学サッカーを締めくくる卒業ダイアリーでみんなに伝えたいこと。それは「感謝」の気持ちを忘れないこと。ありきたりだけど、大切なことランキング第一位。
今、自分たちが大好きなサッカーに、大学生になってからも、本気で打ち込めていることを、当たり前に思わないでほしい。
大学でサッカーを続けるのはとてもお金がかかることである。部費・用具購入費・試合などの交通費・など、一年で部活動にかかる費用は、ざっと計算してみても30万円ほどにのぼる。部活動をしていない他の大学生よりも4年間で120万ものお金がかかっている。今まで考えたこともなかったでしょ?120万円あったらいまやりたいこと全部できるよ。もっといい家に住めるし、毎日いいものを食べて生活できる。
だからといって部活をやらないほうがいいと言いたいわけじゃない。むしろ、やったほうがいい。それだけの価値があると、今は胸を張って言えるから。
普通の人間なら、うまいもの食っていい暮らししたいでしょ。でもそんな生活を捨てて、大学サッカーというものに「何か」を求めてこの世界に入ってきている。プロになるため、サッカーが好きだから、サッカー人生の集大成として、、、様々なバックグラウンドを持った選手たちが集まる、東京学芸大学蹴球部という集団の中で、大好きなサッカーに、自分がなんの不自由もなく打ち込めているのは、何者にも代え難い、両親のおかげである。
ここからは、自分の大学サッカーに挑戦する経緯も踏まえて、サッカー人生を振り返りたい。
5歳の頃に兄の影響でサッカーを始め、すぐにこのスポーツにのめりこんだ。始めた当初、キックが飛ばなくて泣いている私のために、父は家の庭にサッカーゴールを作ってくれた。私のサッカー人生の原点である。そのゴールに向かって毎日暗くなるまでひたすらにボールを蹴った。徐々に上達し、小学校時代には県選抜、ナショナルトレセン、そしてチームとして全国大会に出場するまでに成長した。
中学時代も県選抜や東北大会など様々な経験をさせてもらった。
高校進学の際に、高校をサッカーで選ぶか、勉強で選ぶか選択を迫られた。サッカーでは関東や東北の強豪校から推薦をいただいていたが、すべて断り、地元の進学校を選んだ。ここで、私はサッカーでプロを目指すことはあきらめた。
一度プロを目指すことをあきらめ、高いレベルでサッカーをすることから逃げた私が、高校サッカーを終えたとき、そこには「後悔」しか残っていなかった。
そして私は、大学をサッカーで選んだ。教員になるつもりもないのに、教育学部に進学した。「もう一度高いレベルでサッカーにチャレンジしたい」その思いだけを胸に、東京学芸大学を一般受験し、蹴球部に入部した。両親は私の思いを尊重し、反対など一切せず、背中を押してくれた。
「関東リーグに出場すること」を目標に大学サッカーをスタートさせたが、そこまでの道のりは想像以上に険しく、そんなに甘いものではなかった。レベルの高いチームメイトに圧倒され、幾度とない怪我に悩まされた。
そのような状況で理想と現実のギャップに苦しむ私を、両親は遠くの地から常に応援してくれていた。母親は、十分すぎる仕送りの数々や、事あるごとに電話をくれ、「自分の体のことを第一に考えなさい」「お金のことは気にしなくていいから」常にそう言ってくれていた。父親は家族のために、一生懸命働き、私が帰省したときには、一緒にふざけてリフレッシュさせてくれたり、将来について熱く語ってくれたりした。サッカーでプロを目指すわけでもない息子のために、その息子が大学でサッカーに打ち込めるような金銭面、精神面でのサポートを全力でしてくれていた。感謝してもしきれないよ、本当に。
大学に入って親元を離れてから、いかに自分が自分だけでは何もできない人間か、そして、いかに親のサポートを当たり前のように受け入れ、感謝してこなかったかを実感した。してこなかったというよりも、伝えることをしてこなかった。
「この環境は当たり前じゃない」これに気付いてから、自分の生活が変わった。感謝の気持ちを恥ずかしがらずに、できるだけ言葉や行動で示すことができるようになった。そして、大学サッカーが自分の自己実現のためだけのサッカーではなく、16年間続けてきたサッカーの集大成として、関東リーグで活躍する姿を両親に見せたい、それが最高の恩返しではないかという考え方を持ち始めた。そして、そのためにやれることはやろうと努力した。4年目でやっとトップチームに上がり、やっとスタートラインに立てた気がした。しかし、すぐに大きな怪我をし、長期離脱。後期からは、またBチームに戻った。
結果的に、関東リーグ出場は叶わなかった。
本当に悔しい。もっとやれることあったろ小野隼平。
そして、ごめん、お父さんお母さん。こんなにサポートしてもらったのに。不甲斐ないです。
16年間多くの時間を捧げ、ともに生きてきたサッカー人生にいよいよ終わりが近づいてきている。残り1か月弱。悔いは残ってしまったけれど、最後は両親に自分のプレーの集大成を見せたい。そして笑って「ありがとう」と言いたい。そのために残りの期間を全力で取り組んでいく。もう少しの間、チームの背中は私に守らせてください。
大学で自分の好きなことに打ち込むために、両親のサポートを受けているのは私だけではないはず。蹴球部員はもちろんのこと、大学で体育会の部活動に入っている人はみなそうだろう。忘れてはいけないことは、その環境を当たり前に思わないこと。支えてくれている人への感謝の気持ちを持つこと。そして感謝の気持ちを言葉や行動で示すこと。これらのことを意識することで、自分の行動に責任が生まれ、行動が変わり、部活動が今よりもっと価値あるものへと変わっていくと思う。
ここからは感謝の気持ちを述べさせてください。
リベロ津軽SCへ
5歳から15歳の10年間の私のサッカー人生のすべてでした。小さな頃から、様々な経験をさせていただき、大きく成長することができました。OBとして関東の舞台で活躍する姿をお見せすることができなかったのは悔しいですが、ここまでサッカーを続けてこれたのも、リベロでの経験があったからこそです。特に工藤コーチには感謝しています。本当にありがとうございました。
蹴球部員へ
サッカーにおいてもプライベートにおいても様々な刺激をもらいました。同期のみんなはふざけたやつが多かったけれど、サッカーに対する姿勢などは非常に勉強になった。よくおれの遊びに付き合ってくれた人もありがとう(宮地・藤田・柴田etc)。後輩には常によくわからない絡みをしてしまった。後悔してる。なんてね、嘘です。全部楽しかった。本当に。おれに付き合ってくれてありがとう。(五十嵐、川島、小菅あたり、あげるときりないですね)。
最後に
両親へ
4年間僕の大学生活を色々な面から支えてくれて本当にありがとう。たくさんの心配と迷惑をかけてしまったけれど、僕は東京学芸大学に入学して良かったし、蹴球部でサッカーができて本当に良かったと思ってる。関東リーグで活躍する姿は見せることができなかったけれど、この部の活動で得た様々な経験は一生の財産であり、宝物です。こんな経験をさせてくれてありがとうございました。
次はみんなのアイドル「もが」です。印象的な顔とあまり印象にない中身を持ち合わせた、異質な存在の最上君がこの最後を締めくくるダイアリーでどんなことを語るのか。期待してください。
Q1,私と地元が一緒でリンゴ王子の最上君。青森なぞかけをどうぞ!!
Q2,後輩に慕われているというよりかは、後輩を慕っているイメージが強いですが、今後の注目選手(サッカーではなくプライベート)とその理由をお願いします!
Q3.恋愛気質で暇さえあればNetflixやAbemaTVで恋愛リアリティショーを見ている最上君ですが、4年間で一度も彼女ができていません!ここで自分の取扱説明書(トリセツ)をお願いします!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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