卒業DIARY7 「武器」 天本圭祐
今回卒業ダイアリーを担当します、E類生涯スポーツの天本圭祐です。 澤野君のダイアリーを楽しみにしていた人、すいません。彼は怪我によって受けた精神的ダメージによって書けるメンタルでなかったようなので先に私のダイアリーが出ることになりました。 ということで、軽く私の自己紹介からいきます。 出身は埼玉県で、市立浦和高校から学芸大にきました。私が入部した時には8人が所属し、部内の最大勢力であった市立浦和も今では2人しかおらず、私が卒業すると村田1人になってしまいます。途絶えてしまわないことを祈るばかりです。 さて、中村君が私にも質問を考えてくれたそうなので、それに答えていきたいと思います。 Q1 いつも肩が上がりまくってるあま。恋愛のほうも右肩上がりなんでしょうか?最近の恋愛はどうなんですか? A1.うまいこといいますね、しかし肩の上がり方と恋愛とは全く無関係なものです。 音沙汰なしとはまさにこの事といった感じですね。 もはや、最近ではひとりでの生活を想像して楽しんでいます。 Q2 先日、初めて合コンに参加したという噂を澤野くんから聞きました。詳しく教えてもらえますか? A2.千葉君が仕切ってくれたものに参加させていただきました。 想像していたよりは面白かったですが、やはり頑張って話をする状況は疲れるものです。コミュ障発動です。 気心知れた人といる楽さを実感した次第ですね。 Q3 これまで、Cチーム、Bチームで悔しい思いを共にして、今季、関東リーグでも活躍してますが、どの試合が1番思い出になってますか? A3.Cチーム、Bチームにいたときは本当になかなか勝てず、悔しさや情けなさを感じることの多い日々でしたね。 その中で良い意味で思い出に残っているのは2年の時のBチームアイリーグの順位決定戦の関東学院戦ですね。延長の末当時4年のしゅん君が点をとって勝った試合はよく覚えています。 悪い意味の思い出は多々ありますね。笑 その中でも1年の時のCチームアイリーグの産能大戦を挙げておきましょう。あんな経験はなかなかしないものだと思います。
関東リーグでは今年の前期の拓大戦が思い出ですね。 拙い文章かもしれませんが、お許しください。 私は学芸大蹴球部に関東リーグにスタメンとして定着して出場できるようになることを目標に入部しました。 この目標を掲げた中で最も考えてきたことは自分の"武器"は何かということです。 私がBチームにいるときから、関東リーグを観ることや、先輩の話から試合に出るためには武器が必要だと常々感じさせられていました。 例えば、翔太(4年鈴木翔太)なら左足のキック、陸(4年大竹陸)は対人の守備と運動量などそれぞれ武器といえるものを持ってプレーしています。 私と近いポジションの選手を例にあげてみましたが、他のポジションでも活躍している選手は皆それぞれ自分の武器を理解してプレーしていると思います。 じゃあ私にはどんな武器があるかと考えたときに、特別背が高いわけでもないし、足が速いわけでもない、足元の技術があるわけでもない。突出したものを自分の中に見出すことができずにいました。
なんとか身に付けたいと思い、3年まではサイドバックをやることが多かったので、クロスの練習をしたり、1対1の強化のために練習したりと色々と試してみたものの武器と呼べるほどにはなりませんでした。もちろん努力不足でもあったことは間違いないです。 アイリーグで試合に使ってもらえるものの、出ても何もできずに終わる。試合に勝てない。なかなか関東リーグに絡めない。うまくいかず、苦しむことも多かったです。 そんな中、少し考え方を変えたのが先輩が引退して私が最終学年になったときです。 このままでは試合に出れない。どうにかしなければと思い、今の段階の自分でできることは何かを考えました。 出した答えは予測と危機察知でした。やりたいこと、できるようになりたいことをある程度あきらめて、当時の自分の中で絞り出したできることでした。 その上で、チームのどんな役割を担うことができるのかを模索し、カバーリングを軸に頭を使ってゴールを守ることで自分自身のチームでの存在価値を見出せればと考え、プレーするようになっていきました。 結果的に予測と危機察知においては今のディフェンス陣の誰にも負けていないと思っています。武器といえるものだと。 自分の中で整理がついたおかげでこう言えるくらいにはなりました。 ここまで書いてきましたが何を言いたいかというと、ここだけは誰にも負けないと思えるなにかを自分の中に持ってほしい。またそれを見出すためには自分を知ることも大切だということです。
私は今試合に出ている多くの選手のように、推薦で入り、ずっとトップチームにいたというわけではありません。 一般で入ってすぐ怪我をしてCチームの調整から始まり、2年まではBチーム。2年の関東リーグ終了後に1度トップチームにあがるも、怪我で3年の始動はCチームから。結局トップチームに上がったのは3年の夏前くらいでした。 正直、同期で関東リーグに出てた選手たちの存在に対して劣等感を感じながら過ごした時期もありました。同じ学科で毎日一緒に生活する中で彼らには力があるけど自分は無力だと。 けど、大学サッカーの残り時間が少なくなるにつれて、そんなことよりもみんなと一緒に試合に出たいという気持ちのほうが強くなっていきました。どんな時期も今の私を作る為には不可欠な時間だったと思います。 残り約1ヶ月、最後まで試合に出て、勝利し、みんなと喜ぶことにこだわってサッカーをしていきます。
学芸でサッカーができて幸せでした。スタッフ、チームメイト、蹴球部に携わる全ての方々、家族など多くの人に支えられてきました。ありがとうごさいました。 特に同期のみんなには感謝しています。みんなのおかげでサッカーも私生活も楽しく過ごすことができました。君たちの影響で少しは僕も変われたかもしれませんね。ありがとう。これからもよろしく。 最後に応援のレパートリーが豊富な金子元気君に質問をして終わりたいと思います。 Q1.来年は教壇に立つそうですね、教員としての抱負をお願いします。 Q2.別れてもすぐに彼女ができると噂の元気君、4年間絶えることなく誰かと付き合っていたと認識しています。何かテクニックがあるならみんなに教えてください。 Q3.大学途中でCBからFWへとポジションを変えましたね。コンバートによって苦労したこと、または良かったことは何ですか。 以上でダイアリーを終えたいとおもいます。最後まで読んでいただきありがとうごさいました。
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