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卒業Diary.17 冨永瑛介

この大学に入る前には全く想像もしない道を歩んだ4年間。

向かう先も分からぬまま、ただひたすらに歩みを進めてきた。

そんな私がここまでこれたのは、たくさんの支えがあってのことでした。この場を借りて、監督、コーチングスタッフ、先輩、後輩、同期、応援してくださった保護者及び蹴球部関係者、様々な形で私に関わってくださった方々、そして何よりも両親に感謝申し上げます。

生涯スポーツコース4年トレーナーの冨永瑛介です。

初めに、学科が同じで教育実習先も同じで、共に保健の授業をしたほどの仲である色摩雄貴からの質問に答えていきたいと思います。

Q1. 自称すかしモテキャラ演じてますけどなんで彼女作れないんですか?気になって仕方ありません。教えてください。

A.簡単なことです。演じているからです。あと自称した覚えはないんですけどね。逆にどうすればいいか誰か是非教えてください。てか、しかも同じ立場やないかい。

Q2. 質問というか確認なんですけどモテる為に筋トレをしてるのではなくチームに還元する為に行っているものですよね?あと自分の好きな筋肉の部位も一応教えてください。

A. そんなの当たり前です。顔がダメならせめて体はかっこよくありたいからなんて、そんなこと絶対ありません。皆の為です。本当に。本当だからね。あと好きな部位は三角筋です。肩でかいにあこがれているので。

Q3. あなたにとって部活においてのやり甲斐はなんでしたか?

A.勝利です。勝った時のチームで喜びを分かち合うあの一瞬を味わいたい。それが私のやりがいでした。

それでは本題に入っていきます。

私を振り返る。

とても長く拙い文章ですが、最後までお付き合いください。

私は茨城県にある東海村という小さな村で育ち、小学生に入ると同時に地元の少年団に入り、サッカーをはじめた。

中学校では部活動でサッカー部に入り、高校では進学校に進み、そしてまたサッカー部に入った。

勉強をしながらサッカーが好きでやってきた人。

世の中の大多数の人と同じ道を、人生なるようになると浅はかな考えのもとに進んできた。

つまり、サッカーに関しては、とても低いレベルでしか、してきていない。

周りにサッカーがうまい人はもちろんいた。ただその人の姿を見てすごいと思うだけで、本気で上手くなるための努力を怠り、試合に出られているからいいやという考え方が頭の片隅にはあった。

「今いる環境に甘んじて、成長することを、挑戦することをしなかった。」

私の人生は何となくで、割と満足する結果がついてきていた。

足が人より少し早いだけで試合に使われて満足。

高校も大学も実力より良いところに入れて満足。

でもこの過程で試行錯誤し、努力を人一倍したことは正直なかった。

ただ、ほんの少しの運が味方した結果だった。

こうしてみると、蹴球部の皆とは違い、サッカーに対する熱意も努力も、大学で学びたいことも、将来の目的もないまま、動く歩道に乗り決まった方向に流されるだけの人生。自らの足で歩こうともしてこなかった。

これが蹴球部に出会う前の私という人間だ。

こんな人生を送ってきた私は、大学に入学したとき、普通に楽しくサークルでサッカーして、バイトしながら程よく遊ぶ。そんなありきたりな生活を描いていた。

でも生スポの皆が部活に入ると聞き、その流れで一度蹴球部の紅白戦に参加した。

軽い気持ちで参加したその紅白戦は自分の自信をいとも簡単に打ち砕いた。

本当に自分はサッカー下手くそだとたった数分で思い知らされた。

自信というよりただの過信だった。

それにはっきりと気づかされ、本気でサッカーに向き合うのが怖くなった私は、当初描いていた通りに逃げるようにしてサークルに入り、部活動としてのサッカーから離れた。

そうして生活していく中で、生スポの皆が熱量もって部活に行く姿を見ているうちに、自分があまりにだらしなく、情けなく感じて、虚無感に苛まれる日々が暫く続いた。

皆が出てる関東リーグやIリーグ、サタデーリーグをたまに見に行っては、その姿に感動し、同時にうらやましさがこみあげてくることが何度もあった。

そんな時に知ったのが学生トレーナーという存在。トレーニングについて関わるのは面白そうだ。

最初は本当に軽い気持ちだった。話を聞こうと瞳さんにトレーナーについていろいろと話を聞かせてもらったときに、本気でトレーナーを目指すその姿に心を動かされ、トレーナーとして途中での入部をした。でもその当時大した目標も意志も持っていなかったし、大きな覚悟もなかった。

初めの一年間は、本当に何もできなかった。

チームになじむために、コミュニケーションをとろうとそれだけで精一杯だった。

当時の私は本当に頼りなかったと思う。

テーピングも下手だったし、リハビリも見てあげられない。

選手の皆には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

何もできなかった一年はあっという間に過ぎ、すぐ学生トレーナーとして一番上の立場になってしまった。

「あれ、何もできないやつが一番上ってチームにとって最悪の状況じゃないか。」

瞳さんという偉大な先輩が抜けた穴を埋めるには、私では到底不可能。

そんなことを思い、瞳さんがやってきた役割を私が全うしなければいけないという責任に押しつぶされそうになりながら、いつも心の中に不安を抱えながら練習に出ていた。

このころは選手に何か聞かれたり頼まれたりすることに少しおびえていた。

自信を持つことができない。それは自分にできることがあまりに少なかったから。

自分はトレーナーじゃなくて、グラウンドに長くいることができるテーピングを巻く人。

自分の存在意義、価値が全く分からない。

自分がいることで後輩である遥ちゃんの成長機会を奪っているのではないか。

私は本気でトレーナーを目指しているわけでもないのに。

自分の進むべき道が見えず、毎日をただ流れるように過ごしていた。

そんな自分を誰も咎めることはない。自分にとっては決して厳しくはない環境だった。

そんな中、関東リーグ青学戦、ある先輩にこんな言葉を言われた。

「トレーナーのせいで負けた。」

選手を支え、勝利に少しでも貢献しなければならない人間が、選手にそう言わせてしまった。たった一人の選手をよく見ようとしなかった。これが原因だった。

目の前で泣きながら悔しい、悔しすぎると言われてしまった。

何を言われても、ただ謝ることしかできなかった。

あの瞬間、自分の責任の重さと自分も共に闘う一人であることを再認識させられた。

トレーナーは自分のミスが勝敗に直接的に関与することはあまりないし、分かりやすく目に見えるものでもない。だからこそ、自分に対し自分で厳しく要求していかなければならない。自分の行動全てに責任を持つ。周りが何か言ってくれることはほとんどないので妥協すればそれまで。

だからこそ、トレーナーの私にも本気で叱り、要求してくれる存在、自分では気が付かなかった部分を気づかせてくれる存在は本当にありがたかった。

「今いる環境に甘んじて、成長することを、挑戦することをしなかった。」

この結果が招いたのがこの関東リーグ青学戦での出来事だった。

そう。昔とちっとも変わってなかった。

再認識できたこの瞬間こそ変わらなければいけない。

変わるきっかけを与えてもらったのだから。

そこからの自分は少し変わったと思う。

まずは自分ができることに自信をもって行動することから始めた。

たくさんの選手とコミュニケーションを図り、相手を知ることで自分という人間を知ってもらうこと。

どんなにトレーナーとしての知識や技術があっても、信頼という土台が完成されていなければ、それを生かす機会はない。逆を言えば信頼を築くことで、些細なことでも頼ってくれるようになり、成長する機会に多く出会える。そしてその分選手に、チームに貢献することができる。

もちろん、信頼を得ることがすべてではない。

だからこそ残された最後の1年間は自分なりに挑戦する心を抱き練習に行っていた。

トレーナーはどんな挑戦をしても、努力をしてもその過程を評価されることはない。

全ては、選手のため、チームのため。

ある意味では自己犠牲に近いと言われるかもしれない。

でも私は誰からも評価されなくても、自己を犠牲にしても欲しいものがあった。

目の前の一勝。

結局、欲しいものは選手の皆と変わらなかった。

だから欲しいものを手に入れる為の挑戦をしよう。

そしてその一勝を手に入れたい。

その為に、直接的に勝敗に関与する選手の最大限のパフォーマンスを継続して引き出すことが私のやるべきこと。

その為の方法は無限にあると思っている。

そして、私がやるべきことをやったその結果が勝ちに結び付けばこれ以上のことはない。

そうして取り組んでいるうちに、今まで漠然と進んできたサッカーとしての道の目的地がようやくはっきりしたように思えた。

別の形ではあるが、今は本気でサッカーと向き合っている。

この時間が何より充実し、成長を与えてくれた。

一度逃げた私がまたサッカーに本気で向き合えたのはこのチームだったからこそだと思う。

何よりこのチームで過ごす時間が好きだった。

一つのチームとして誰もが誰かを尊敬し全力で応援できる。

選手だけじゃなく、監督もコーチもマネージャーも学連も、そしてトレーナーも。

皆が愛し愛されている。当たり前な光景ではない。

こんなチーム本当に見たことない。最高じゃないか。

選手じゃないからこそ、トレーナーだからこそ見える景色がある。

私だけが見える、私だけの景色。

ピッチ上でも応援側でもないこの場所から見える景色は、一つ一つの紫が本当に煌めいて見えた。

そんな素敵なチームで過ごした私の時間は、選手にとって私の存在は、価値あるものだったのだろうか。

トレーナーは当然のように感謝されてしまう、されやすい立場にある。

だからこそ、本当の自分だけの価値を、存在意義を見出す必要があった。

私はトレーナーになってから1つだけ貫こうとした意志がある。

貫くことでそこに少なからず何かしらの価値、存在意義が生まれると考えた。

それは、強くあろうとすること。

誰よりも強くあり続けなければならない。決して選手に弱さを見せてはいけない。

選手がプレーに悩み、怪我でボロボロになり、挫けそうになった時、その最後の心の拠り所でなければならないと。とにかく誰かのためになりたかった。

選手に寄り添うトレーナーである私の支えが弱ければ、頼ってくれた選手は簡単に挫けてしまう。私が強くあるから、皆はただ、真っ直ぐに歩み続けて欲しい。そう願いを込めた意志だった。

正直、トレーナーとしてたくさんの苦悩を抱えてきたし、それを皆の前で吐き出したいと思ったこともある。それでも、それは出来なかった。すべきでないと判断した。

チームにとって強くあるのが私だから。

それが貫くべき意志だと一度決めたから。

誰かのために良い影響を与えられる存在になりたかったから。

でも結局それは全て自分の為でもあった。

私の役割はチームを一歩外から俯瞰すること。皆の輪に入りすぎては役割を果たすことができない。

時には一人、孤独であっても強くあろうとする。

そこに自分の価値を少しは見いだせたんじゃないかな。

本当の自分は一人が嫌いで、漠然とした不安に負けそうになるくらい弱い。

本当は、多くの責任を背負える程の強さは持っていない。私は強くなかった。

そんな私だからこそ、トレーナーとしては強くありたかった。

いつも皆の明るさ、心の広さ、暖かさ、優しさ、サッカーに向き合う姿勢に救われていたから、その分皆が弱ったときに、今度は私が強くあって、救ってあげられたらって。

それが誰かのためになり、自分の為にもなると信じていた。

強くある。

この意志を貫いた上で、自分の存在がどうあるべきか、どうありたいかたくさん考えた。

皆に感謝されないくらい、陰で気づかれないくらいの小さな支えでありたい。

そして踏みとどまってしまったその背中をそっと押してあげたい。

よく皆が主役というけれど、私は主役じゃない方がいい。

私以外は主役、チームにとってはわき役でいい。

でも私の中では、私が主役。

こんな感じで在りたいと思い、このスタンスが一番いいというのが最後の年にして出した結論だった。

でも結局最後の一年間、皆に何かしてあげられたかというと大した貢献はしていない。

自分の蹴球部における絶対的な存在価値も見出せなかった。

でも自分の応援歌が歌われた時、共に闘う一人としてチームの一人として認められていると感じることができて素直にうれしかった。

テーピングを巻いたとき、リハビリが終わった時、怪我の処置をしたときに当たり前のように言われる「ありがとう」の一言一言は本当に力になり、そこにいていいと思わせてくれて、何度も心を救われた。

だからこそ伝えたい。

「こちらこそ、ありがとう。」

この1年間は目の前の一勝が本当に遠かった。

皆でつかみ取りたい一勝。

勝ち取るために、ただ前だけを見て選手には戦ってほしいと思う。

安心して戦ってほしい。

何かあれば私が話を聞く。

何かあれば私が声をかける。

何かあれば私が駆けつける。

選手を守るのが私の役目だから。

強くあるのが私の役目だから。

支えるのが私の役目だから。

最後までそんな存在であり続けさせてほしい。

こういった形で最後に貢献させてほしい。

あなたに寄り添う人は必ずいる。

恐れず、その一歩を踏み出せ。

大丈夫。可能性だらけなんだから。

残り2節、共に闘い抜こう。

私を振り返って、長くなり上手くまとまりませんでした。伝えたいことだけでいえば最後の方です。トレーナーとしてこのチームに関われたこと、いろんな人に巡り会えたこと、幸せでした。

そしてトレーナーとしての後輩に。

今まで、支えてくれてありがとう。

皆がいたから、私は自分の役割を全うできたと思う。

大した事教えてあげられなくてごめんなさい。

もっさんとりなこちゃんは向上心がすごいあるし、すでにたくさんの挑戦ができていると思う。教えてあげられたことは数少ないけどいろいろ経験しながら、周りに耳を傾け、遥ちゃんの背中見ながら互いに切磋琢磨していってほしい。

選手の皆には温かく成長を見守ってほしい。そしてたくさんのきっかけを与えてあげてください。

遥ちゃんにはトレーナーとして経験する機会を多く奪ってしまったと申し訳ない気持ちです。

もっとトップチームで松本さんが近くにいる環境で学び、経験を積みたかったんじゃないかと思う。

私より知識も愛される力も十分持っているので、来年は最高学年としてチームを支え、後輩に良いものを残しながら引っ張っていってほしい。自信をもって頑張ってほしい。残り引退まで少し居座るけどもう少しだけ協力してね。

最後に。

後輩には結構ダルがらみしてしまったこともありました。でもちゃんと返してくれてありがとう。力になれなかったことも多かったけど、たくさん頼ってくれたのは嬉しかった。残り時間の短さを感じ、全力で頑張れ。

同期の皆には頭上がりません。途中から入ってきた私を受け入れてくれてありがとう。みんなの存在が私をトレーナーとして最も成長させてくれた。部活以外の面でもたくさんの話を語ることができた。共に過ごした全ての時間が幸せだった。皆が同期で最高だ。

そして両親に。

今まで長い間サッカーに関わる全てを支えてくれてありがとう。

大学に関しては、サッカーをしてないのに、トレーナーとして活動するわがままな自分をいつも気遣ってくれた。全く期待に応えられない息子だったけど、残り引退までもう少しサッカーに対して全力を捧げます。最後のサッカーが終わったら、一生かけて親孝行します。最後まで見届けてください。本当にありがとう。大好きです。

明後日には、私の地元、東海村の隣にある日立市の日立市民運動公園陸上競技場で11:30から関東リーグvs立教大学戦があります。

私の地元の人は必ず見に来てください。大学サッカーの素晴らしさに胸を熱くすること間違いなしです。

皆さま、応援よろしくお願いいたします。

それでは最後に白ゴリラの愛称で皆から親しまれている学芸のNo.10フィジカルモンスター山中海斗に質問して終わりたいと思います。

Q1. 現在、とある方と一緒に住んでいるそうですが、そんな人と過ごす休日の過ごし方について教えてください。

Q2. たくさんのゴールを生み出してきたヤメゴリ先生ですが、最も印象に残っているゴールとその理由を教えてください。

Q3. 学芸大学が好きすぎて来年も大学に居座ることに決めたそうですが、来年からどのようなことをするのかと好きな女性の仕草を教えてください。

以上で私の卒業ダイアリーは終わります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

冨永瑛介



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